教育者論−−実証研究編

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KAIは、以前「教育者論」と称して、いかに「教育者」の存在が、あらゆる分野における「教育」において重要な意味を持っているかレポートしたのであります。

これは、「Jリーグ百年構想のもと、サッカー選手の育成とサッカーの普及、および青少年の健全育成を目的」とあるように、Jリーグ発足を主導した川淵三郎の「意志」以外の何者でもないのであります。

川淵三郎。1936年12月3日生まれ。

野村克也。1935年6月29日生まれ。

ともに70代半ばの二人の男。終戦を小学生(国民学校)で迎えた世代であります。この二人の、「意志」を伝える「教育」。いままさにこの「教育」が、清武弘嗣と小川淳司、この二人へと「伝染」しているのであります。

KAIが、いまここで言わんとすることは、ただ一つ。

「教育」こそ、「人間的成長」と「技術的進歩」を生むのであり、「教育者」と言う「主体」なくしてこれは無意味であり、なしえることはありえないのであります。
なぜいま清武弘嗣と小川淳司なのか?

この野村克也なる「教育者」が、いかに「偉大」なる存在であったか、またひとつの「事例」をご紹介するのであります。

それは、文春の1億円報道でみそをつけた原巨人でありますが、今シーズン開幕絶不調から、不死鳥のようによみがえった、その「理由」でもあるのであります。

 開幕直後に5連敗し6年ぶりの最下位を経験するなど、泥沼のスタートを切った巨人。しかしその後、17勝6敗という圧倒的な強さで、6月16日に交流戦を初制覇。驚異の復活の裏には、ある人物による徹底したデータ分析があった。今季から戦略コーチに就き、巨人に初めてID野球を取り入れた橋上秀樹(46)である。

「ヤクルトで捕手や外野手として活躍し、楽天でコーチを務め野村克也監督に鍛えられたID野球の申し子で、相手チームの分析に長けています。清武(英利元球団代表、61)さんがデータを重視していたので、今季から選手に対戦相手の情報を提供するための『戦略室』を創設。橋上さんは秦(真司バッテリーコーチ、49)さんとともに清武さんに請われ、その責任者に就任しました。彼の集めるデータが正確なため、選手からは敬意を込めて?かみ(神)さん?と呼ばれているんですよ」(スポーツ紙巨人担当記者)

 橋上は'84年にドラフト3位でヤクルトへ入団、日本ハム、阪神などでプレーし'00年に引退した選手だ。'05年からは、楽天でヘッドコーチなどを歴任。野村監督の下でデータの活用法を徹底的に学んだ。

 橋上はスコアラーから上がってくる情報を、ただ選手に教えているだけではない。手元の資料に加え、1球ごとに相手投手の球種や投げ方、投球間隔などを、自分の目でチェックし対策を考案。試合前、試合中を問わず選手を呼んで、?生のデータ?を伝えているのである。

「橋上さんは『データはどの球団も持っている。そこに自分で得た生きた情報をプラスすることが大切なんだ』と、よく話しています」(前出・記者)
交流戦V 巨人「快進撃の陰に、野村ID野球の申し子」 開幕直後の重量打線野球が、足技を絡めてのスモール・ベースボールに転換

橋上秀樹。はしがみひでき、と読んで、?かみ(神)さん?と呼ばれているのであります。

 橋上は、ミーティング形式も変えた。それまでは試合前に選手全員が集められ、「今日の相手は左投手だから右打者を並べる」などと、大雑把な指示が首脳陣から出されていただけだった。だが橋上は、選手一人ひとりを呼んで個別にミーティング。「前回の試合でお前が打ち取られたのは、すべて内角の変化球だから、今回もそこを突かれるはず。追い込まれたら、内角の変化球に狙い球を絞れ」などと、具体的な指示を出しているのだ。野球専門誌のライターが明かす。
同上

彼もまた、野村に教えられたとおりの「教育」を施す「教育者」となったのであります。

これ以上の橋上の活躍は、この引用の記事の続きをお読みいただくとして、「教育者論」からは外れますが続いてのお話であります。

このところ、ウィンブルドンテニスと合わせて深夜未明の楽しみであったサッカーのヨーロッパ選手権。決勝の結果は、スペインの圧勝であります。

 戦前の予想ではイタリアを推す者も少なくなかった。実力的にはスペインが上ながら、大会の流れ、勢いではイタリアに分があったからだ。

 グループリーグ初戦で対戦した際、イタリアは3‐5‐2システムでスペインに挑み、互角の戦いを繰り広げた末に1‐1で引き分けた。その後、最終ラインのメンバーが落ち着いた決勝トーナメントではイングランド、ドイツを内容的に圧倒して決勝に駒を進めてきただけに、チェーザレ・プランデッリ監督はかなりの手ごたえを得ていたはずだ。

 一方のスペインはイタリア戦以降4試合連続完封という守備の安定を武器に決勝までたどり着いたが、ゴールどころかチャンスすら作れない攻撃面の不安は試合を重ねるごとに増していた。

 はたして試合は、意外にも攻めの姿勢を忘れていたはずのスペインが4得点を挙げる一方的な展開となった。ただ、ここまでスコアに差がついてしまった裏には、いくつかの理由がある。そしてそのうちのいくつかは、イタリアにとって不運なものだった。
スペイン、唯一無二のスタイルで史上初の連覇 (1/2) スペイン 4−0 イタリア

このイタリア敗退の原因は、すでにその対戦前から決していたのであります。

すなわち、スペインとイタリアの、歴然とした「パス率」の違いであったのであります。

イタリアの50%台に対して、スペイン60%台。この違いは3週間前から始まった短期間の5試合、イタリアの平均走行距離が圧倒的に長くなっていたのであります。

この6試合目となる決勝とは、イタリアにとってこの蓄積した疲労が、極致に達していたのであります。

これが、キエッリーニの負傷交代をはじめとした、イタリア選手のコンディション不良として現れた。

 その原因はまず、イタリアの選手たちのコンディション不良が挙げられる。「スペイン相手には持てるすべてのエネルギーを出しきることが必要。だがわれわれにはフレッシュさが欠けていた」とプランデッリ監督がなげいた通り、準々決勝イングランド戦で120分間の死闘を繰り広げたこと、そして準決勝ドイツ戦後の休みがスペインより1日少なかった影響は少なからずあっただろう。
同上

コンディション不良は、「原因」ではなく、「結果」であります。

プランデッリ監督は、これがわかっていなかった。

もし理解していたなら、主要メンバーを後半に温存し、疲労の蓄積していない控えを中心に先発させていたはずであります。

ま、でたがりのイタリア選手が、これを認めるはずもなく、運命とは「偶然」に左右されるようでいて、かように最初から「必然」に決しているものである、とKAIは感じて、これをここに記しておくのであります。 KAI