鏡像対称性と繰り込み可能性の関係について(再掲載)

  • 投稿日:
  • by

鏡像対称性と繰り込み可能性の関係について、投稿日:2013年1月14日
11年前何を考えていたのか、ご笑覧いただきたいのであります。

ひさしぶりに、物理の世界のお話であります。

物質と対になる反物質は必ず同じ重さですが、電気の性質が逆になります。物質がプラスだったら反物質はマイナスという感じです。私たちは、自分で自分の顔を見ることができません。お化粧するときなどは鏡を使って自分の顔を見ますが、鏡に映る顔は厳密にいうと、自分の顔そのものではありません。左右が反対になっているから、よく似ていますが、別のものということになります。
村山斉「宇宙になぜ我々が存在するのか」第1回、最新素粒子物理学で解く「宇宙と私の謎」1月17日発売の最新刊を先行公開
村山斉(ひとし)さんと言えば、ちょうど昨年「知の爆発」シリーズ(知の爆発−−直感を疎かにしてはいけない(2))にもご登場いただいた、南部理論を拡張した方であります。

こんな、日本、いや世界の最先端の物理学者をさしおいてなんなんでありますが、なぜか多くのみなさんが、この鏡に映るのは「左右が反対」の意味を勘違いされているのであります。

確かに、鏡に映っている右手は、鏡の中の人にとっては左手の位置にあります。

しかし、これをこちらの左にあるものが鏡の中では、右に映っている、と思っている人がきわめて多いのであります。

これを確認する実験をご紹介するのでありますが、二人顔をあわせながら、相手の顔を見て、言うのであります。

自分の右の頬を指差しながら、ここにゴハン粒がついているよ、って。

すると、相手の人が、こちらから見て同じ右の頬に手をやれば、「正常」^^;であります。

もし、指を指した側とは反対の、こちらから見て左側の頬に手をやれば、これは間違いなく、鏡では左にあるものが右に映ると勘違いしている方々であります。

こんな方々には、こんな質問をすればよろしいのであります。

なぜ、左右は反対になると言うのに、上下は反対にならないのでしょうか?

この答えは簡単であります。鏡では、決して左右は反対に映ってはいないのであります。反対に映っているのは、「前後」であります。

でありますから、「右」にあるものはすべて同じ「右」に映り、「左」にあるものはすべて同じ「左」に映ることになるのであります。これは左右を上下に替えても同じことであります。

そしてこれは、車を運転する方であれば、毎日容易に確認できることなんであります。つまり、バックミラーや交差点にあるカーブミラーを見たとき、後ろの車両の右左折ランプであります。鏡に、右に見えるランプが点滅していれば、この車は右折しようとしているし、左に見えるランプが点滅なら、100%間違いなく左折であります。

信号のない交差点でカーブミラーに映る右から来た車のランプのどちら側が点滅しているか、これもまったくもって同様なんであります。こちらから見て左側のランプなら、こちらの方向に来ようとしていることが分かるのであります。

しかし、なぜ「右手」が「左手」であるかのように鏡には映るのか。

この答えも、きわめて簡単なんであります。鏡の中の自分が向こう向きではなくこちらを向いているからであります。前と後ろ、表と裏を逆にすると、左右は同じままで替わらないのですから鏡の中から見た左右と言うものは当然のように逆向きになるのであります。

今回、なぜこんなお話をするかと言いますと、先に引用しましたこの記事を読んでKAIは閃いたのであります。

それがなんであるかをご説明する前に、まず鏡像対称性と左右対称性の違いであります。

実は、この二つの対称性こそ、現代物理学を支える根本原理に、深く関係しているのではないか。

KAIはかように思うのでありますが、まずはこの二つの対称性の違いでありますが、しばしばこれは学問的にも混同されて理解されているとKAIは考えているのであります。

すなわち、鏡像対称性とは、パリティと呼ばれる右回りか左回りか、回転の対称性のことと言われるのでありますが、KAIに言わせれば、そうではなくこれは上述のとおり前後の対称性なんであります。

これに対して、左右対称であるのが、右手と左手の対称性でありますパリティ対称(の一種)となるのであります。こちらはカイラル対称性とも呼ばれ、かつて南部陽一郎のノーベル賞受賞理由となった、対称性の自発的破れとは、このカイラル対称性の破れのことであります。

更には、こちらもノーベル賞受賞となった小林益川理論におけるCP対称性の破れにあるP対称性とは、やはり同じパリティ対称性のことなんであります。

では、鏡像対称性における前後の対称性とは。

これがKAIの今回のアイデアでありますが、この前後の対称性と、繰り込み可能性が強く結びついているのではないかと言うことであります。

この繰り込み理論とは、これも日本の朝永振一郎の1965年ノーベル賞受賞理由となるのでありますが、半世紀以上たったいまでもその物理学的「意味」は解明されていないのであります。

にもかかわらず、現代物理において、この繰り込み可能性とは、ゲージ対称性と併せて量子力学の統一理論になくてはならない表現形式となっているのであります。

そこで、今回のKAIのアイデアでありますが、この繰り込み可能性の物理学的「意味」とは、「前後」のゲージ対称性ではないかと考えるのであります。

「前後」とは、なんの前後であるのか。

一見CPT対称性で言うところの、T対称性、すなわち時間対称性のように思えるのでありますが、そうではない。

なぜそう思えるのかと言えば、ファインマンダイヤグラムにおいて、閉じたループが発生するとこの量子振幅は無限大になるのであります。これが繰り込み可能性があると無限大が打ち消しあって有限の値になると言うことは、時間軸を逆にした場合の量子振幅によるのではないかと思ったのであります。

しかし、もちろんこれは検証されて問題はそうではないのであります。

私たちは、時間軸の中に生きているために、時間軸が反転する世界を想像することはできないのであります。同様に、光の速度を超える物質の世界も、まったくもってイメージすることができないのであります。

同じ理屈で、宇宙の始まりであると言われるビッグバン以前の世界も、想像することができないし、加速度的に膨張しているといわれる宇宙の果ての終焉さえこれがいかなるものであるのか、まるでわからないのであります。

だからといって、わからないから存在しないとは言えない。

もし、この「次元」が存在するとするなら、当然この「次元」におけるゲージ対称性が存在しているはず。これが量子振幅の無限大となって現れているのではないかと、KAIはかように考えるのであります。

ですから、繰り込み可能性とは、この「前後」と言う「次元」のゲージ不変性の可能性以外のなにものでもないのではないか。

すなわち、宇宙は、その始まりと終わりはこの「次元」で、連続的に繋がっているし、この「次元」をワープすることで容易に光速度を超えることができる。あるいは、光速度を超える通信も可能になるのであります。

繰り込み可能性とは、実はその可能性の明らかな証拠ではないかと。

KAIの初夢であります。 KAI