November 09, 2005

内なるものと外なるもの(3)

アプリケーションにとって人が内なるものになると、何が起こるのか。

それはアプリケーションが意志を持ち始めることを意味しています。意志を持つとは、主体的に毎日、連続的に変化していくことを言います。

今までのアプリケーションはそうではありませんでした。長い期間をかけて開発しても、一旦その手を離れれば、あとはメンテナンスと言う“他人”である外なるものの意志に基づく変化、しかも離散的な変化しかありません。

これは男と女の例で考えると簡単に理解できます。内なるものの関係になった男と女は、互いの意志を尊重して行動しますが、これは二人にとってすべて主体的なものです。もし一方の勤める会社の上司に休出を指示されデートの日にちを変えれば、これは他律です。

ここに、私たちのサービスが、現在のASPサービスと言う形態のサービス様式に至った必然性があります。

Satoshiさんがゲームの開発も Web2.0 的にやっても良い時期かも知れないで、このあたりの意味を目いっぱい勘違いしています。

正しいゲーム開発者の育て方とは、こうです。

まず資本をかけてオンラインゲームWeb空間を構築します。このあとここに優秀なゲーム開発者を投入します。この彼あるいは彼女を、オンラインゲーム空間のスター、またの名を“神”と位置づけ、ゲームを支配(つまりプログラミング)させるのです。

これだけ。ドゥユーアンダスタンド(ナッツカシー)? KAI

投稿者 : November 9, 2005 07:05 PM | トラックバック
コメント
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?