August 29, 2011

教育論

都立高校での南京虐殺教育の実態を、娘から聞いて、吐き気がしてきた。

なんで、こんなうすらきたない教師たちが、公務員でいるのか。

さすがの石原慎太郎も、これを排除できない。

これを大阪の橋下徹が、ついにやってくれているのであります。

KAIは最大級のエールをおくるのであります。

大阪維新の会が教育基本条例の素案をまとめた。
知事・市長による教育目標の設定や教育委員の罷免権など、教育委員会に対する政治主導を明記したほか、校長による教職員への権限強化など組織管理の徹底も打ち出している。
(中略)
学校に政治と市場を介入させてはならないと私が言うのはそのためである。
別に政治や市場が本質的に邪悪であるとか有害であるとか言っているわけではない。
政治と市場は社会成員の成熟を望まない。それは先方の事情であって、私がとやかく言う筋のものではない。どうしてもそうしたいというなら、そうされればよい。
私はただ「お願いだから、学校にはこれ以上入り込まないで欲しい」と懇願しているのである。
このまま政治と市場の介入が進めば、学校の本質的機能は遠からず回復不能なまでに破壊されてしまうだろう。
だが、「大人」を作り出す制度を失えば、そのときには、共同体そのものが壊滅してしまうのである。
政治が支配する相手も、市場が収奪する相手もそのときにはもういないのである。
それでは政治家のみなさんもビジネスマンのみなさんもお困りになるだろうから、みなさんの明日のたずきのためにも、司法と医療と学校には口を出さない方がよろしいですよと申し上げているのである。
教育基本条例について


ウチダ先生の論理は、一見真っ当なようでいて、ではいったい誰が「教育者」であるのか、この視点が決定的にかけているのであります。

教育とは、なんであるか。

それは、「教育者」と「被教育者」との関係性以外の何者でもないのであります。

つまり、誰が誰に教えるのかってことであります。

ここでお気づきいただきたいのは、ここには「何を」教えるのか、これは関係ないと言うことであります。

別の言葉で言えば、教育者の資格があれば、「何を」教えてもかまわないのであります。

では、都立高校の教師が南京大虐殺の特別教育をしてもいいのではないかと言えば、それはまったくもって根本から間違っているのであります。

そもそもにおいて、そんな教育をする「教師」の資格は公に与えられてはいないのであります。

これをご理解いただけない方には、歯科医師が、外科手術をするようなものと言えばおわかりでしょうか。

ですから、都立高校ではなく、どこかの(公立の)大学で、教授が学生に南京大虐殺の教育をやりたければ、これはいくらでもご自由にどうぞ、となるのであります。

政治が、司法と医療と学校に口出ししないと言うのは、あくまでその「中身」についてであります。

司法制度、医療制度、学校制度、これらを社会をよりよい方向に維持していくべく改革することができるのは、政治をおいて他にないのであります。

さて、こまかい議論は省略するとして、みなさんには、ぜひとも教育論の本質が「教育者」にあることをご理解いただきたいのであります。

すなわち、ウチダ先生のような「教育者」と言う具体的な姿の見えない教育論からは、否定はあっても生み出されるものはなにもないのであります。

そうではなく、前回のエントリーで取り上げた野村克也や川淵三郎といったような人物を、「教育者」として、いかに社会が重用していくか、これがもっとも重要なんであります。

アップルコンピュータ創立
CEOのスティーブ・ジョブス氏のスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ
 PART 1 BIRTH
 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。
(中略)
 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stayhungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」
 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。
  Stay hungry, stay foolish.
 ご拝聴ありがとうございました。
(スタンフォード講演録より、翻訳 市村佐登美)


つい先日、引退を表明したスティーブジョブズ。彼を「教育者」として招聘したスタンフォード大学こそ偉大なんであります。

そして、これは日本の事例。

 明治時代、札幌農学校(現北海道大学)の初代教頭を務め、「少年よ、大志を抱け」(Boys be ambitious)の言葉を残したウィリアム・スミス・クラーク博士には、もう一つ知られたエピソードがある。

 着任したクラーク博士は、札幌農学校にあった煩雑な校則に対し、「校則は一つ、『紳士であれ(Be gentleman)』の一言で十分」だと求めたという。

 「大志を抱け」はクラーク博士が帰国の際、札幌近郊の島松駅逓所(現北広島市)まで見送りにきた学生たちに述べた言葉として伝わる。ゆかりの北広島市ではフロンティア精神を受け継ぐ教育を目指し、小学校などでクラーク博士のほか、寒冷地の稲作の先駆者、中山久蔵(きゅうぞう)ら先人の取り組みについて教える授業も行っている。
北海道 クラーク博士の名言はもう一つ「紳士であれ」


明治の時代の日本、札幌農学校にも、教育とはなんであるか、これを理解していた創立者がいたのであります。

「教育論」において大事なことは「教育者」であり、これを育てることも大事ではあるけれど、もっと大事なことは「教育者」をいかに見出していくか、教育を論ずる方々にはこれがもっとも重要であることをご理解いただく必要があるのであります。 KAI

投稿者 kai : August 29, 2011 03:54 AM | トラックバック
コメント

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Posted by: npbrjnrwu : November 14, 2011 12:51 PM
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