あらためて「おおさか維新」と言う名のパワーを感じた

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まさに標題の通りの、いまのKAIの心境なのであります。

それは、たったいま、このブログを読んだからであります。

おおさか維新の会、という政党名を付けられたことにはそれ相応の理由があることは十分に承知しているが、しかし、いつまでもおおさか維新の会では困るだろうな、というのが、私の感想である。

新座の市会議員選挙に立候補する候補者が私の留守中に自宅に挨拶に来られたそうだが、聞くところによるとどうやら「おおさか維新の会」の公認候補に選ばれたそうだ。
埼玉県の地方議員の方が「おおさか」を名乗るというのには相当抵抗があっただろうな、と思うが、私の知っている範囲では、「おおさか維新の会」を名乗る方は少ない。

出来るだけいい人材が集まってもらいたいものだ、と願っているが、おおさか維新の会のままでは全国から有能な人材を糾合するのは相当苦労しそうである。

なるべく早く全国政党らしい名称に変えられた方がいいな、と思っている。

いい人材はそんなに簡単には集まらないし、集められない。
政治に魅力がなくなれば、ますますいい人材は政治の世界から遠ざかる。
そういうものである。
おおさか維新の会の政党名に「維新」がふさわしい理由

このブログ主の心境は、手に取るように理解できるのでありますが、ここに書かれている内容こそが、「おおさか維新」と言う名前が持つ、これから日本と言う国家を動かしていくだけの、計り知れないパワーを秘めている、とどのつまりはそう言うことなのであります。

えー?意味がわからない?

って思われるみなさまに、今回はこれをつぶさにご説明したいと思うのであります。

ポイントは「おおさか」であります。

私の知っている範囲では、「おおさか維新の会」を名乗る方は少ない
もちろん、これは事実なのでありますが、これがなぜ少ないのか、このブログ主には、この仕組みの考察が不可欠なのであります。

そして、それは、具体的に「おおさか」をポジティブにとらえるか、ネガティブにとらえるか、この違いであると言えるのであります。

すなわち、「おおさか」をネガティブに考える人々は、おおさか維新に参加することはないのであります。

幸いにして、今回新座市会議員選挙の候補者は、これをポジティブにとらえた結果の、「おおさか維新」公認候補となられたのであります。

では、「おおさか」をポジティブにとらえる意味とはなにか、これが問題であるのであります。

これを理解するためのヒントとなるのが、今回の新座市市会議員選挙候補者なのであります。

この候補者が、なぜおおさか維新の会の公認に応募したのか。この疑問はさておきまして、新座市の有権者のみなさまの気持ち、すなわち、これによる有権者の反応を考えてみる必要があるのであります。

え?なぜ「おおさか維新」、なぜ「おおさか」なの?

当然の反応なのであります。

これに、公認候補者は、当然のように大阪における数々の実績を引き合いにして、「おおさか」の意味を説明することになるのであります。

この説明は、いつまで続くのか。

それは、日本の中の津々浦々まで、「おおさか維新」の「おおさか」の意味が浸透するまで、これは続くのであります。

そうです、これこそが、日本中の地域選挙で戦い抜くための、とてつもない「差別化戦略」と言って他ならないのであります。

地方選挙ではなおさら、中央にあるありきたりの政党名では、誰も注目はしてもらえない。しかし、ここで「おおさか」を名乗ることによって、有権者に、なんで?と思わせる。あまりにもすばらしい戦略ではありませんか。

しかも、これは、維新政治塾への入塾希望者が往時の十分の一以下であることの、きわめていい意味の説明になっているのであります。

すなわち、「おおさか」をポジティブにとらえて、この意味を真摯に学ぼうとする人々のみを受け入れることができる、期せずして有効なフィルターの役割を果たすことになったのであります。

まさに、これこそが、国政政党「おおさか維新」の名前を背負って、国政で通用するだけの有能な人材を集めるための、最高の方法であったと、KAIは理解するのであります。

北海道であろうと、青森であろうと、南は熊本、佐賀、大分、全国で、「おおさか」で戦う選挙こそ、「おおさか維新」が目指す地方分権、統治機構改革と言う、日本の大改革なのであります。

「おおさか維新」の大躍進を願うばかりであります。 KAI