August 30, 2005

モデル指向はなぜ必要か−−番外編

モデル指向から見たコンテンツ販売

P=「情報単価」で表す情報単価の意味には、もう一つの側面があります。それはコンテンツと呼ばれるものの情報単価です。この議論を突き詰めていくと、以前からの宿題のアプリケーションとコンテンツの関係にも絡んでくると思われますが、あえてそれに触れません。ここではとりあえずコンテンツ販売とは、楽曲の販売を想定して話を進めます。

まずアップルのiTMS(iTunes Music Store)と従来からのCD販売を比較すると次のような特徴があります。

<iTMS:ビジネスモデル>:
VQ ≫ F;

<CD販売:ビジネスモデル>:
VQ ≪ F;

まずiTMSのVQですが、VQとはメーカーの作る製品そのものの仕入れ価格です。これをメーカーのビジネスモデル側から見れば、構造はCD販売のビジネスモデルと同じで、異なるのは、後述するCD販売に必要なFがほとんどかからないことと、VQも一部の著作権料を除いて、物流コストなどモノにかかわる費用が一切かからないことです。つまり、iTMSへ卸す価格であるPは、併行して販売するCDの価格を考慮した、戦略的価格以外のなにものでもありません。

またiTMSのFについては、デジタルデータのECサイトのシステムを含めた運営費ですので、仕入れ額に較べても微々たるものです。

次に、CD販売のFについて言うと、その中身は、赤字プロモーションの補填を含む莫大なプロモーション費用のかたまりです。一方のVQが、すでに上で書いた通りの、一部の著作権料と物流コストなどのモノに関わる費用であることと較べると、VQ≪Fであるのは当然の帰結です。

さて、ここでQ(損益分岐点)=F/(P−V)と言う式を思い出してください。これが役に立ちます。損益分岐点とは、G(利益)が出る最低限のQ(売上数量)のことです。この損益分岐点をiTMSに当てはめると、VQ≫Fですので、ある意味P>Vの条件さえ満たせば、いかなる損益分岐点でも設定できることになります。

これに対して、CD販売の方の損益分岐点は、VQ≪Fであるためどうしてもハードルが高くなります。ハードルが高い分だけFを投入しなければならず、メガヒットが出なければ悪循環に陥るのが目に見えています。つまり、CD販売のビジネスモデルとは、Fを抑えなければ、ごく一部のヒット商品に依存するバクチ商売とかわりがないと言うことです。

以上の話しを整理するとこうです。

<CD販売:F>→<CD販売:P>→<iTMS:V>→<iTMS:P>

つまり、オンラインショップで販売するコンテンツの情報単価とは、大本を辿れば、CD販売におけるF(固定費)であって、その内訳は著作権料など直接的な費用はわずかで、大半がプロモーション費用、つまり広告費であると言うことです。この広告費が、ブランド価値などと言う虚構の衣装をかぶっているのが、コンテンツの情報単価の実態であると言えます。

本来、情報単価とは、前回までの議論によれば、それを生み出す機能のパフォーマンスの結果です。楽曲の著作権者であるアーティスト自体が機能であり、そのパフォーマンスの高さが、情報単価を左右していると考えるのが、このモデル指向の自然な考え方です。

丁度絶妙のタイミングで、梅田さん〜満足せる豚。眠たげなポチ。さん経由で、丸山茂雄氏のmF247を始めるにあたってと言う文章に出会いました。 

「メジャー絶対優位の時代」から「個が発信し個が選択する時代」に
 メジャー・レコード会社がマス・マーケットに向けてアーティストや商品を送り出し、その中からリスナーがチョイスをして購入していた時代=「メジャー絶対優位の時代」から、メジャーに頼らずとも様々なアーティストが登場し、リスナーも幅広い音楽の選択肢を得ることができる時代=「個が発信し個が選択する時代」に、音楽マーケットが急速に移りつつあるという事実は音楽関係者は誰しも否定しないであろう。

(中略)

インディーズの論理
 楽曲の聴取には、しかるべき対価を支払うべきであり、それが次の創作に繋がるという「創造のサイクルの保護」は、ある意味でメジャーの論理。我々インディーズは、創造のサイクルに入る前の段階に在る。前述の通り、リスナーが音楽を〈情報〉と捉えているのだったら、まったく新しい未知の〈情報〉にカネを払ってもらうのは無理である、というのがインディーズを主宰している私の結論である。

 インディーズでは、対費用効果でテレビスポットやラジオでのヘビー・ローテーションを打つことはできない。まず〈情報〉を無料で、ひとりでも多くの人に届けて広めないことには何も始まらない。そこで、アーティストの音楽をまず聴いてもらうためにインターネットを活用して「マスに向けた"路上ライブ"」を展開することとした。
 権利者やアーティストとの同意のもとに、楽曲を完全な形で、まず〈情報〉としてリスナーに提供し、数多くの〈情報〉から、その人特有の〈作品〉を見つけてもらい、CDの購入やライブコンサートへの参加に繋がるようなプロセスを構築したいと考えるに至った。

つまり、インディーズであるとは、必然的にF=0であるわけですから、一挙にP(売上単価)の小数点化が可能になります。ここ(mF247)では見かけ上P=0となっていますが、どこかでスポンサー経由の収入につながる広告モデルを導入できれば、路上ライブで入る投げ銭以上の収入を得ることができるビジネスモデルへの展開も可能なはずです。

満足せる豚。眠たげなポチ。さんの「音楽のオープンソース化だ」もなかなか面白い考えですが、これについては稿をあらためます。 KAI

投稿者 : August 30, 2005 11:27 PM | トラックバック
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