なぜ人は「正しく」間違えるのか?

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駅を出て、まっすぐ目的地に向かって歩いているつもりが、いつまでたってもたどり着かない。よくよく見ると、180度反対の方向に歩いていた、なんてことはよくあることであります。

実は、この方向感覚の欠如こそ、いま日本の文系論者の「知的欠陥」の決定的要因なのであります。

あえてこのたとえ話を続けるならば、道に迷って彼らの取る行動は、地図との「不一致」の検証ではなく、地図との見た目の「一致」をひたすら見出すだけの言説であり、これを世間では「レトリック」と呼ぶのであります。

ほらここにコンビニがあって、その先に郵便局があるから、間違っていない、とな。

iPhoneと日本維新の会に共通するものとは?」で取り上げた、識者と言われる人々が「iPhone革命」の本質に気づかなかったのも、この方向感覚の欠如を「レトリック」で糊塗するからであります。

そもそもにおいて、論理の「前提条件」がまったくもって反対であるにもかかわらず、自分たちが採用する「前提条件」をアプリオリとして一切挙証がなされることがないのであります。

例えば、これ。

その点でいうと、アメリカのベトナムでの集団的自衛権の行使については「よしたほうがいいぜ」と言ってあげるのが友邦のなすべきことだったと私は思っている。
友邦だったら。
でも、日本はアメリカの友邦ではない。
アメリカの属邦である。
従属国家である。
集団的自衛権と忠義なわんちゃんの下心について

いったいいつから日本が「従属国家」であるのか。まずもってこれが正確に「挙証」されたためしは、ウチダ論説において過去一切なされてはいないのであります。

「従属国家」であることを言わんがための根拠が、「従属国家」であるとは、これこそが究極のトートロジー、すなわち「レトリック」の典型なのであります。

ウチダ先生の、「思考能力」の「限界」であります。

残念ながら、これが日本の「文系論者」の知的レベルであります。ブログでもいいから徹底的に議論することで論破されることのない、言いっぱなし、言いたい放題を許す、予定調和的村社会が生み出す、当然の帰結なのであります。

鳩山の転向の根拠が「核」であるとの妄言など、もういいかげん、ウチダ先生、ご自身の「思考のフレーム」の適用範囲の「限界」を自覚なさったほうが御身のためであります。そうすれば、(まだまだお若いとは思いますが)晩節を汚すこともなくなると、KAIは愚考するのであります。

そして、こちらも、「京都大学教授」の名が泣く佐伯啓思先生であります。

 しかし、それではたとえばこの3年ほどの民主党政権の失敗はどこにあったのか。「維新の会」は「統治機構を変える」ことこそが、彼らの仕事だという。
 ◇
 しかし、言葉は違え、「統治機構を変える」は、平成5年に始まる政治改革の目的だった。政治改革が唱えたのは「脱官僚政治」であり「民意の反映」であり「政治主導」であり「政策選択の政治」であった。その行き着いた先が民主党政治であった。そして、民主党が失敗した理由はといえば、彼らが十分な準備もなく政権の座についたからである。つまり、いってみれば彼らは「素人集団」だった、というところに落ち着いてきたのではなかっただろうか。
京都大学教授・佐伯啓思 常軌を逸する政治

民主党が「素人集団」であったから、「素人集団」である維新の会は民主党と同じになる。

まるで、「幼稚園児」の「論理」であります。

大丈夫ですか、佐伯先生?

ソフトバンクもユニクロも、みんな大成功を収める前は、「素人集団」。

そんなことをいったら、「玄人集団」しか成功しないんですか、え、佐伯先生?

おまけに、安倍晋三の維新との連携発言にも、先生はクレームする。

 しかし、新自由主義的な方向を打ち出し、破壊的なまでの急進的改革を訴える「日本維新の会」と安倍さんの「保守」の理念が一致するとは私には思われない。安倍さんの目算がどのあたりにあるのかよくわからないが、「日本維新の会」が唱える「統治機構の改革」と安倍さんの「戦後レジームからの脱却」にはかなり距離があるように思うのだ。

あのですね。ここでもまた先生は、「連携」と言う言葉を、あまりにも「非論理的」に弄ぶ。

1塁手と2塁手の「連携」と言うぐあいに「連携」は使うものであって、「一致」などと言う意味は誰も求めてはいないのであります。

そして、一番分かってないのが、この言葉。

 ところが、現時点で橋下さんは、自分はあくまで大阪市長であって、立候補しないという。考えにくいことではあるが、もしも過半数を得て政権を取ったとしていったい誰が総理になるのだろうか。いうまでもなく維新の会は橋下政党である。その党首が大阪で市の行政にかかりきりなどということはありえない。

いま、もし大阪市長を辞めますと言明してしまったらどうなるか。なぜこんな簡単なことが理解できないんでしょう。まったくもってこの程度のオツムで学者が勤まるとは、なにをかいわんやであります。

嘆息。

この一言に尽きるのでありますが、気を取り直して、標題の問いにお答えするのであります。

それは、冒頭のお話のとおりであります。

彼らは、ことごとくにおいて一貫して、「正しく」180度反対の方向に結論を突き進むのであります。しかも、「論理」ではなく「レトリック」であります。「レトリック」とは、「論理」の逆順であります。

これが、なんと摩訶不思議なことに、期せずして「背理法」と言う「論理的」証明方法となっている。

すなわち、例えば「電話」としてのiPhoneではうまくいかないことを証明しようとすればするほど、「電話」ではないiPhoneがうまくいくことを証明することになる。

「従属国家」の行く末を懸念すればするほど、「従属国家」でなければ未来が開けてくる。

「政党」としての日本維新の会では成功がおぼつかないと言えば言うほど、「政党」を超えた存在となる日本維新の会の成功が保証されるのであります。

なんでこんなことが起こるのか。摩訶不思議なようで、実はそうではない。

彼らには、決定的に「人のために」と言う「志」が欠如しているからであります。このことを端的に指摘するコメントをご紹介して、本日はこれにてお仕舞いにするのであります。

中途半端に政治に首を突っ込むことは、こうも人を愚鈍なバカにしてしまうものなのだろうか。
あなたが今一番に全身全霊をかけて訴えるべきことは、若い命がこれ以上理不尽になくならないように、魂をこめた効果的な一言を日本中に発信することだ。
いじめや自殺に関することをほおっておいてまで、観念的政治ごっこをすることに魅力があるのか。
あなたが論じる政治的事がらすべてが、ああでも有りこうでも有りというような、正解を見つけるためにあえて迷路に入ることそのものを楽しむためにある類のものだ。
あなたは、まがりなりにも教育者だったという経験や、おそらく生きんがために身についたのであろう、良くも悪くも言葉を人の心に届かせる小ざかしいそのテクニックを、今まさにどこに使うのかを目を覚ましてよく考えるが良い。
yahoo user 4ce80、09月15日 11:54

 KAI