知の爆発--直感を疎かにしてはいけない(7)

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このところ、知の爆発シリーズと関係すると思われますところの、実に興味深い出来事が頻発していたのであります。

それが、いったいなんであるのか。

これを、今回は、じっくりとご説明したいと思うのであります。

まず始めにとりあげますのが、大栗先生のブログのこの記事であります。

ところで、先週、幻冬舎のウェブ・マガジンで配信した数学エッセイの第10回「無限世界と不完全性定理 後編」について、ご専門の方々からツィッターでコメントをいただきありがとうございました。ご意見を参考に、修正をして、再配信しました。以下に、修正点をまとめておきます。

(1)以前の原稿では、ゲーデルの不完全性定理を引用するときに、「矛盾のない有限な数の公理で」と始めていました。帰納的・再帰的なものも含めて有限な文字数で表すことができるという意味で「有限な」と書いたつもりでしたが、この点について明確にしていた方がよいと思い、修正しました。

(2)また、第1不完全性定理の主張の中で、「自然数についての真なる主張で」と書きましたが、もともとの不完全性定理は、絶対的な意味での真偽をあつかっているわけではないので、修正しました(その下の文章も、適宜修正しました)。

(3)不完全性定理と数学的帰納法の関係について、誤解を招く表現がありましたので、修正しました。

(4)「ある主張の否定を仮定して、矛盾を導くことで、もとの主張を証明する」背理法と、「ある主張を仮定して、矛盾を導くことで、その主張の否定を証明する」否定の導入を区別すべきだとのご意見をいただきました。たしかに、否定の導入の方は排中律を認めなくても成り立つ場合もあるので、狭義の背理法と否定の導入は同等とはいえません。しかし、今回の数学エッセイは高校1年生の数学で読めることを目指しているので、日本の高校の学習指導要領に準拠して、狭義の背理法と否定導入をあわせて(広義の)背理法と呼ぶことにしました。
ピーター・ゴダードさん

KAIが、この修正前の、大栗先生の文章を読んでの、正直な感想は、してやったり、やっとゲーデルの不完全性定理の、ほんとうの意味がわかった!であります。

もちろん、この引用にあるような修正点があったとしても、その本質的意味するところは、なんら影響はうけないのであります。

ところが、であります。

数学の専門家と言う方々が、これを許さない。

この修正した説明でも、まだ間違っていると言うのであります。

いえいえ、KAIに言わせていただきますなら、専門家といわれるみなさんこそ、「間違っている」とご自覚なさったほうがいい。

それは、簡単に申しあげますならば、哲学といった概念説明にも共通する問題でありますが、これを例えば高校生向けに、最終的にいったい何を「伝える」ことを目的に、説明するかと言うことであります。

「リンゴ」を見たことも食べたこともない、ただ「リンゴ」と言う単語のみを知っている高校生に、「リンゴ」とはなんであるか。これをいかに説明するか。

要するにそう言う問題なんであります。

これを植物学的に説明しなければいけないと言うのが、数学の専門家と言われる人たち。

しかし、大栗先生のような「ある種の人びと」にとって、まるでこんなことには興味がない。

この「人びと」にとって興味があるのは、いったい何を「伝える」か、これこそが一番に最重要課題であるのであります。

そして、その答えとは、「ニュートンの落ちるリンゴ」であります。

夕暮れの落ちる存在としての「リンゴ」であります。

夕暮れ時、ニュートンは、リンゴ園で思索に耽っていました。まわりが暗くなってそろそろ引き上げようとしたその時、リンゴの実がぼとっと落ちました。これを見たことでニュートンは万有引力を発見したと言われるけれど、それは違うと先生は言ったのです。ニュートンはしょっちゅうリンゴ園で夕方遅くまで思索をしていて、落ちるリンゴは何度も目撃していたのだと。ただ、その日は違っていました。リンゴが落ちた時、そのリンゴのあった東の空に、まん丸の中秋の名月が浮かんでいたと言うのです。
月は東に日は西に−−シアトル編
一見、この説明は、何も「リンゴ」について説明していないようでいて、実はまるでリアルタイムの映像を見るかのように、リンゴの落ちる映像をイメージさせることに成功しているのであります。

それにしても、であります。

KAIが、なんでいまこんなことを考えているかと、正直に申しあげますならば、昨年、この本を購入して、一気に読み終えてから以来、いまだに抱くある不思議な感覚があるからであります。

大栗先生の超弦理論入門
KAIが、いままで何十冊と超弦理論の本を読んできてわからなかったことが、たった300ページにもならないこの本で、すべて理解できたのであります。超弦理論とは、なんであるのか。この本質的意味が、理解できたのであります。

そうか、そう言うことだったのか。

いままでであれば、決して専門家と言われる方々の口からは発せられなかった言葉が、いえ、専門家では決して発することのできなかった言葉が、今目の前にある、この喜びは、KAIにとって筆舌に尽くしがたいものがあるのであります。

そうか、そう言うことだったのか、ともう一つ理解できたことがあるのであります。

それが、このレポートに書いたこちらのエントリーであります。

ここで重要なのは、こうした繋がりが、ただ単なる互いの出会い以上の、もっとより具体的なところに、その根源的な理由があると言うことです。それは、湯川を源流とする、数式と言う道具を使って生きた気の流れを操る方法を伝授された人々の系譜です。

数式と言う道具を使って計算できることは、単に数式を操れるだけのことです。世の中の学者といわれる人々の大半がそのレベルにとどまっている。対して、この系譜の人々は、数式を使うことでその数式の中に流れる気を自在に操る方法を習得し、最後真理の扉を開くことができる。
ノーベル賞ラッシュはこれもまたシンクロニシティ

そうです、系譜に伝授される「気の流れを操る方法」の存在であります。

いままでであれば、決してこの秘伝は公開されることはなかったのであります。

クローズドな研究室の中でだけ、口伝されてきた秘伝こそ、まさにこの「気の流れを操る方法」であり、大栗先生の超弦理論だったのであります。「系譜」の意味を今初めて大栗先生が公開してくれた。

この「意味」がわかれば、直感が働く。

その直接的効果が、これまた原始の重力波発見のビッグニュース。

宇宙創成後、10のマイナス36秒後に一気にインフレーションしたその証拠の可能性となる発見でありますが、この宇宙創成と言う、絶対0秒および絶対マイナス秒の宇宙の姿さえ、大栗先生のこの著書は、これを予見させるものがあるのであります。

それが、事象の地平線を自由に出入りする弦の存在と、その事象と言う空間の幻想であります。

もうすこし、この説明は丁寧にする必要があるのでありますが、これまた長くなりますので、KAI的に超簡単に申しあげますならば、宇宙の創生である、絶対0秒と言う事象の地平線を、弦は通り抜けることができると言うことであります。

このことと、宇宙の寿命とも言える、宇宙の時間的半径が密接に関係している。

この2週間、このことばかりを、KAIは考えているのであります。 KAI