今回の中国高速鉄道の事故で分かったことの一つに、技術音痴でも経営ができてしまう、現代社会の病理であります。
実は、これはなにも中国だけではないのでありまして、日本の福島原発事故でも、日本の多くの企業や役所がこの病理の中にあることが明らかになったのであります。
それは、本来、技術で成り立つ経営と言うものが、この技術の大半がコンピュータ(ソフトウェア)に置き換えられることによって、技術とはなんであるかを理解しない素人経営者でも、あたかも名経営者がごとく事業を運営できてしまうと言う問題なんであります。
そして、この結果の、とりかえしのつかない原発事故による故郷と言う広大な居住地域の喪失、高速鉄道事故による大量の犠牲者の発生であります。
要するに、自分たちが生産あるいは利用している「技術」に「無知」であっても、普通に表面上の経営ができてしまう、そう言う「時代」になってしまったと言うことであります。
今回のような大事故に至らぬまでもこの問題による経営危機に直面し、問題の根本解決を図って経営を立て直したのが、「東京証券取引所」。(「新システムarrowheadは今日時点で100点の出来」東証斉藤社長が会見 )
そもそも「技術」とはなんであるのか。ここに「技術」の原点を映像化したドキュメンタリーがあるのであります。
「男はつらいよ」などで日本人の姿を描いてきた映画監督・山田洋次さんが、足かけ3年間にわたってSL「C6120」の修復・復活を記録した初のテレビドキュメンタリー。戦後は日本の復興の象徴であった「SL」。SL復活のドラマと、それを取り巻く人々の奮闘や情熱を描くことで、東日本大震災で打撃を受け、将来への不安を抱える現代日本人へ向けて、力強い復活へのエールを届けたいという思いがこめられた番組。
(NHKスペシャル「復活〜山田洋次・SLを撮る〜」)
いかに高度に進化した技術であろうとも、あらゆる技術の原点にはこの「手作業」と言う技術者一人一人の「技能」があり、さらにはこの「技能」に裏づけされた、技術への「信頼」があるのであります。
この「信頼」があるからこそ、ひとたび墜落しようものなら命を失う危険性の高い飛行機でも、私たちはなんの躊躇もなく、自分の生命をあずけることができるのであります。
ここで、みなさんには、よく考えていただきたいのであります。
そもそもにおいて、今回の二つの重大事故は、「技術」の問題なんでありましょうか?
KAIは、決して「技術」の問題にあらずと、断言するのでありますが、それはなぜか。
高速鉄道に関して言えば、すでに、この「技術」の信頼性は実証済みであります。
単に、「中国製」高速鉄道と言う、一部の「ブランド」製品の欠陥問題であって、決して高速鉄道と言う「技術」そのものの信頼性が問われてはいないと、みなさんどなたにもご同意いただけるものと思うのであります。
こう言う欠陥製品を市場に出した、すべての責任は、経営者にある。であるからもって、冒頭の経営者の「技術音痴」の記述に繋がるのでありますが、つまりはことの本質は、こう言うことなんであります。
そして、この論理は、実は原発事故についても、まったくもって同様なんであります。
原発技術も、新幹線を代表とする高速鉄道の技術同様、第2次世界大戦後、世界中で急速に技術開発が行われ、過去、チェルノブイリ、スリーマイルと言う大事故だけではない数多くのトラブルを経て、この問題を克服し、実用化に至った、正真正銘の「信頼」に足る技術なんであります。
でなければ、なんで数十年前の製品が、いまだに世界中で稼動し続けているのでありましょうか。
上掲のドキュメンタリーにあるとおりであります。古い蒸気機関車を走らせ続けるためには、とてつもない「手作業」がいるのであります。
であるにもかかわらず、歴代の東電経営者は、ことごとくの場面においてこれを怠ってきた。
ただ単に、これだけ。
ですから、今回の原発事故問題は、事故が起きるまでに限って言えば、一義的に東電経営者だけの責任問題であって、原発技術そのものの問題にあらず、と言う以外にはないのであります。
これを「脱原発」は、原発「技術」そのものの、この信頼性の問題として、これを全面否定するのであります。
世間一般の人々からすれば、もちろんこの反応は不思議でもなんでもない、ごくごく自然の反応なんだと思うのでありますが、これを、ここぞとばかり、「我欲」に利用しようとする「バカ」や原水協、はたまた、自然エネルギー利権にむらがる狢、まさに魑魅魍魎をなすのであります。
確かに、このなかにあって、一見論理的に原発「技術」そのものの問題を指摘される人々がいるにはいるのでありますが、ここはひとつ、こんな未来を考えていただきたいのであります。
今回、KAI博士のノーベル生理学賞を受賞した研究によれば、遺伝子と電磁波は常に共鳴現象を通じて遺伝子の活性化をコントロールしていると言う事実から、電磁波を身近で利用する携帯電話や電子レンジなど私たちのあらゆる生活が、遺伝子異常と言う発ガン性の原因であったことが証明されることになりました。
政府は、この事態を受け、可及的速やかに、携帯電話技術や電子レンジなど、直接的に身体に影響を及ぼす電磁機器の製造と使用を控えるよう、国民に声明を発表しました。
原発も一緒です。まず「技術」上のそれぞれの問題についてどうすればいいか。専門家が一生懸命考えて、これを国民に説明する。その結果、やっぱり携帯電話は使えないよねってなったところで、では「脱携帯」にむけてみんなで一生懸命智恵を絞って、考えて、あらたなる「技術開発」していけば、いい。
そう、思いませんか。 KAI
いったいこれは、なぜなのか。
フランスにあるエビアンマスターズGCで開催されている米国女子ツアー第13戦「エビアンマスターズ」の最終日、2位に2打差の単独首位からスタートした宮里藍が、4バーディ2ボギーの「70」で回って通算15アンダーとし、2位に2打差をつけて逃げ切り優勝。今季初勝利で米ツアー通算7勝目。今大会は09年に続いて2度目の優勝を飾った。
(宮里藍が今季初優勝!「日本に良いニュースを届けられた」)
この「彼女たち」の中で、何が起こっているのか。
実は、この2日前から、こんなエントリーの下書きを書き始めていたんであります。
平次が首が痒いって首を掻く
ほんと、生命の意味を、つくづく思い知らされる毎日であります。
圧巻は、夫に悪態しかつけない老婆に抗しきれず、老牛を市場に売りに行く場面。こんな老いぼれ牛ではと買いたたかれ、なら売らないと啖呵を切る老人。そばでそれを見る老牛の頭部を、カメラがズームアップする。とすると、牛の眼に涙がきらりと光っているではありませんか。
(希望は思わぬ処からやってくる(2))
突然、いつもと違う動きをするのでよく見ると、台石に上半身をあずけながら左前足で大きく伸ばした自分の首を一生懸命掻くしぐさをしているではありませんか。
いや、こんな光景、平次と暮らして24年、初めて目撃したのであります。
毎朝、こちらが朝ごはんを終えるころから、小さな水槽の中で、なにかあったかと思うほど大きな音を立て、さかんに動き回りだすのであります。
「自分のゴハン、忘れんでね!」
「ハイ、ハイ、わかってますよ!」
しかし、この繰り返しこそが、生命の本質なんであります。
台風以降一挙に気温が下がって、エアコンを「ドライ」にしたまま運転中の影響と思われるけれど、背中が痒くてしかたがない。なんども平次のいる横で、孫の手で背中を掻くのを繰り返しているうち、平次にもこれが伝染するのであります。
ここまで書いたところで、宮里藍の優勝を深夜のWOWOWで観たんであります。
そうなんであります。
「なでしこ」も、「宮里藍」も、この「伝染」なんであります。
3.11以来の、「がんばろう日本」と言う言葉に出会うたび、この何かの違和感を感じてきて、これがなにかわからなかった。
天罰や自業自得と言う「バカ」はおいといても、どれだけボランティアに参加したかとか、募金をしたかとか、節電してますか、はてまた、脱原発にウツツをぬかして、「がんばろう日本」と叫べば叫ぶほど、このすべてが虚しくひびくのはなぜなのか。
一方で阪神淡路大震災との比較の言葉が飛び交うたびに、なにか今回の大震災との間に、薄膜が張られているように思えてしかたがなかった。
この、これらすべての違和感の正体とは、生命体としての「がんばろう日本」が正しく「伝染」しないもどかしさ、ここにすべての原因があったことに、この宮里藍の大きな日の丸の国旗を背負って優勝トロフィーをかかげる映像を見ながら、いま理解したのであります。
海外のツアーで優勝して、今の被災者に勇気と希望を与える。なでしこの時も、そう言われたけれど、実はこれは本質でも何でもなかった。
福島の原発避難者や被災者すべての人々の心が、そのまま、彼女たちの心に「伝染」して、そしていまこれが共鳴しあっている。
毎日、少しずつでもと続く瓦礫の撤去と、この彼女たちの「勝利」が、直接的に繋がっている。
一方で、脱原発と言う、耳障りな不協和音があふれかえって、こちらはまったくもって繋がらないどころか、被災者はおいてきぼり。
彼女たちの「勝利」を目の前にする一方で、このなぜか「伝染しない心」の存在に、KAIはいまはげしく苛立ちを感じざるを得ないのであります。 KAI
朝から何時間もたつと言うのに、いつまでも涙がとまらない。
休日をいいことに、番組を梯子して、ずっとこの映像を追いかけているのであります。期待どおり、いや、期待以上の結果に、この気持ちをいかなる言葉にしてあらわせばいいのでありましょうか。
考えるに、今回の、なでしこジャパン金メダル獲得に至る道筋には、二つの大きなポイントがあったと思うのであります。
これこそ「勝利」の力なんであります。
つづいて、「なでしこ」。
サッカーの女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会第6日は1日、レーバークーゼンなどで1次リーグB組の第2戦を行い、日本は沢(INAC)の3得点などでメキシコに4−0で快勝し、2連勝の勝ち点6で同組2位以内を確定させ、過去最高に並ぶ8強入りを決めた。沢は男女を通じて代表通算得点を最多の78点とした。
(日本8強入り、メキシコを4−0)
今回この試合を見て思ったのは、ずいぶん男子のサッカーに近くなってきたってことであります。男子のサッカーとは、ボールコントロールのことで、女子のサッカーと男子の違いを例えれば、ビリヤードの玉と卓球の玉の違いであります。
もちろん女子は、ビリヤードの方ですが、この傾向はテニスにおいても顕著なんであります。
(希望は思わぬ処からやってくる)
ちょうど2週間前、瞬間的に、この「なでしこ」のパワーを感じ、そして「希望」を感じることができたのでありますが、これはいったいなんだったのか。
それは、「希望」とは、結果の後にあるのではなく、必ず結果の前にあると言う、あたりまえと言えばあたりまえの、重大なる真実なんであります。
またまた、わかりにくいものいいですまない。
人間の、反射神経の実験によれば、ことごとくの反射において、その「意識」は、実際の「反射」をただ追認しているだけであると言う結果は、今回の問題を理解する上できわめて重要な真実なんであります。
すなわち、人の「希望」には、この「予感」とも呼ぶべき、無意識なる「反射」が必要であり、すでに「なでしこ」は、この「アンテナ」を持つ人々に対して、2週間以上前から発振し続けていたのであります。
これこそが、「なでしこ」を決勝に至らしめたまず一番目の理由であり、ここでなんども言及してきた「予知能力」のフォース以外の何者でもないのであります。
そして、決勝戦。
これは、必ず女子W杯の歴史にきざまれる、真に見ごたえのある名勝負であったのでありますが、ここでもまた「予知能力」が、二つ目の勝利のポイントとなるのであります。
前半8分、左サイドからラピノーがクロス。これにチェニーが飛び込み、ゴール。に、KAIには一瞬見えたのでありますが、わずかゴールポスト左にそれたのであります。
つづいて前半29分 左サイドをドリブルで抜け出したワンバックの左足での強烈なシュートが、クロスバーを直撃。これもだめかと思った瞬間、ウソみたいにゴール前におしとどまった。
やがて、まるでゴールにシールドが張られているかのように、KAIには見えてきたのであります。
このまま前半終了。
そして後半24分 米国得意のカウンターアタックで、モーガンがゴール右隅へ左足の強烈なシュート。ついに米国先制。
しかし、まるでこのままで終わる気配は、ない。
後半35分 永里が右サイドから入れたクロスボールの混戦を、宮間が左足でキーパー左横へ押し込みゴール。
これは延長戦でも、まったく変わらない。延長前半終了直前、米国ワンバックの絵に描いたようなヘッドのボレーシュートで、またしてもリードされるも、このままでは終わらない。
案の定、ゲームオーバーまであと2分、宮間の左コーナーキックに、ボールに向かって飛び出した澤が右足アウトサイドで絶妙の広角ボレーシュート、快心の同点ゴールを決めたのであります。
もはや神がかりとしか、言いようがない。
あとは、PK戦と言うところで、監督佐々木則夫が見せた笑顔。これが、すべての結果を予言することになるのであります。
主役は、もちろん海堀。右横っ飛びながらも冷静に残る右足でクリア。
そして、もう一人の主役が、宮間。米国の一番目が外したあとの、キック。もっともプレッシャーがかかる場面で、フェイント気味のゴール。これが、きわめて効果的に、米国2番目のロイドへのものすごいプレッシャーとなって、米国を自滅へと追い込んだのであります。
こうして、決勝戦を振り返ると、これらすべてがこの試合前から決まっていたかのように思えてくるから、不思議なんであります。
しかし、実はこれこそが、今回の「勝利」の秘密なんであります。いかなる場面でも、「負ける気」がしなかった。彼女たちを含めて勝利を信じるすべての人々は、「勝利」と言う「予知能力」の中にあったと言うこと。
逆説的で結果論に過ぎないと思われるでありましょうが、これこそが「予知能力」の持つフォースと言う力なんであります。
さて、なでしこの大きくもたらした、この「夢と希望」。
やっと、日本の「大気」にひとときのバランスが、戻ったのであります。
こうなって初めて、「自助、互助、自制の精神」が生きてくる。
今日から、やっと、すべてがスタートするのであります。 KAI
孫正義とは、ずっと毀誉褒貶の人であります。
菅直人首相が意欲を見せる再生エネルギー特別措置法の成立を当て込み、太陽光発電事業への新規参入を目指すソフトバンク社長の孫正義氏(53)。「脱原発」を掲げ、事業化へと邁進(まいしん)するカリスマ経営者に対し、インターネット上で猛然と批判する起業家がいる。国内最大規模のビジネススクールを経営する堀義人氏(49)だ。堀氏は孫氏を「政商」と呼び強く非難。孫氏も堀氏を「原発推進論者ですか」と応酬。旧知の2人は8月5日に1対1の公開討論を行う。
■尊敬から一転
《(孫氏は)「政商」の様に振る舞い、自分が都合が良い方向、日本にとってマイナスな方向に導いている…》《(孫氏が脱原発を叫ぶのは)政商となり補助金を得て儲けたい…》
堀氏が4月以降、短文投稿サイトのツイッターに、孫氏を批判する書き込みを繰り返していたところ、7月に入り、孫氏もツイッターで“反撃”した。
《堀義人さんは、結局の所、原発推進論者ですか。一度トコトン議論しますか?》
堀氏は平成4年、社会人向けのビジネススクールを経営する「グロービス」を設立。現在はベンチャー企業などに投資する400億円のファンドの責任者でもある。自社の教材を執筆する際、自ら孫氏を2度「取材」したこともある間柄。「起業家の先輩として力量を高く評価し敬意を表していた」と語るほどだった。
(「孫氏は政商、マイナスに日本導く」 ソフトバンクの太陽光発電事業参入を批判 旧知の起業家・堀義人氏 ツイッターで応酬、来月公開討論)
最初、パソコン全盛時代を予見して、1981年上新電機のJ&P、1982年ハドソンとのそれぞれ独占契約で、パソコンソフトの「流通」と言うプラットフォームを押さえる。
次が、情報流通のプラットフォームとなっていた展示会と出版の買収。手始めが1994年、ジフデービスの展示会「インターロップ」、そして1995年、当時世界最大のコンピュータ関連見本市「コムデックス」、つづいてコンピュータ関連出版の最大手「ジフデービス」本体を買収。
これをきっかけにして、インターネットに着目、Yahoo!へ出資し、筆頭株主となる。1996年自らYahoo!JAPAN設立し、日本のインターネット検索の「プラットフォーム」を手に入れるのであります。
さてこれからが、現在の孫正義の行動の意味を読み解くヒントになる出来事が続いていくのであります。
Yahoo!JAPAN設立に勢いを得て、メディア王ルパート・マードックの協力でテレ朝の株式を取得、ついに地上波メディアと言う「プラットフォーム」に進出を図るのであります。
しかし、これが既存の利権護持勢力に火をつける結果となるのであります。
激しい朝日新聞の抵抗にあって、あえなく撤退。
2000年、今度は証券および銀行と言うプラットフォームをねらって、ナスダックジャパン開設、あおぞら銀行へ出資するも、2002年ナスダックジャパンはヘラクレスとなって撤退。2003年、あおぞら銀行株式売却。
いずれも既存勢力の抵抗の前でなすすべもなく、撤退。
この中で、奇跡的成功をおさめることになったのが、2001年、Yahoo!BBと言うADSLによるインターネット常時接続サービスであったのであります。
NTTのISDN干渉を理由にした激しい妨害にも負けず、またたくまにADSLは、インターネット接続の「プラットフォーム」へと成長していくのであります。
この「プラットフォーム」の中の「プラットフォーム」、「通信」に活路を見出した孫正義は、莫大な借金をものともせず、2004年、日本テレコム、2006年、ボーダフォンと、たてつづけに通信会社買収を成功させていくのであります。
そして、いま孫正義がねらう「プラットフォーム」が、「電力」。
いままで数々の「プラットフォーム」買収で孫正義が学んだことは、「プラットフォーム」には「正統性」が不可欠であると言うことであります。
ここであらためて「プラットフォーム」を取りに行くことの意味、これを理解することがきわめて重要なんであります。
カリフォルニア州ランチョパロスバーデス発--Googleの会長であるEric Schmidt氏は、「gang of four(4集団)」が現在のテクノロジを支配していると述べた。この4集団とは、Google、Apple、Amazon、Facebookの4社のことだ。
Schmidt氏は米国時間5月31日、当地で開催のD: All Things Digital(D9)カンファレンスで、これらの4社は「プラットフォーム戦略を利用して」消費者と株主の両方に莫大な価値を創造している、と語った。
各社のプラットフォームは、ほかでは利用できないサービス(例えばAmazonの場合、ユーザーの購入したいあらゆるものが1カ所にそろっている)を提供していることに加えて、ほかの企業がそのプラットフォーム上に付加価値を構築しているという。Schmidt氏は4社の価値を合計した数字(同氏は5000億ドル以上だとしている)に言及し、テクノロジ史上前例のない額だと評した。また、4つの企業がこれほど強力で支配的な立場にいるということも前例がない。
Schmidt氏はこれら4社が将来統合するとは考えておらず、長きにわたって権力の座を保持するという確信も抱いていない。1社が失速して、新興企業がそこに割って入る可能性の方が高いだろう。あるいは、この4社以外の企業が権力の座にのし上がるかもしれない。
(グーグルのE・シュミット氏、「4社が今のテクノロジを支配」--D9カンファレンスで)
であるからこそ、既存利権勢力は、これに激しく抵抗する。
そのなかで、大きな成功を収めたのが、Yahoo!BB。初期対応のまずさから膨大な批判を受けながらも、人々が支持したのは、既得権にあぐらをかき不便と高額料金を押し付け、しかもADSL普及に陰湿な妨害をするNTTへの反発にあったことは、まず間違いないのであります。
孫正義は、ここではっきりと、「正統性」と言う「チカラ」の意味を理解したのであります。
日本テレコムも、ボーダフォンも、すべてこの流れの中にあったのであります。「通信」を外国資本に渡すな。この「正統性」がなければ、決してこの巨額の買収はなしえなかった。
「電力」と言う「プラットフォーム」。彼はここに、いかなる「正統性」を見出しているのでありましょうか。
以降は、あくまでKAIの想像でありますが、ここで彼は今回の「正統性」を、完全に見誤っているとしか思えないのであります。
それは、以下の二つのブログをお読みいただければ、より鮮明になるのであります。
そして、この理由もまた、明白なんであります。
この2年間、iPhone、iPadしか使っていないと言う彼が、twitterにかまけて、「光の道」論争にみるように、いかにも「論理思考」ができなくなってしまっているのであります。
これをあらためて言えば、いまのいま「正統性」がどこにあるのか、決して100億ぽっちのはした金では終わらない、みな「家に帰る」こと、これ以外にはないことを、あなたの肝に銘じる以外にはないのであります。 KAI
なでしこジャパンが、期待通りやってくれているのであります。ぜひとも金メダルを祈って、あえてここではコメントしないことにするのであります。
このところ、「バカ」だとか「知性」に欠けるだとか、それこそ「知的」レポートを目指すにふさわしくないエントリーのオンパレードでありますが、問題は、曽野綾子のような、本来「知的」エリートと言われる文化人が、数十万人単位にもおよぶ被災者、避難民の避難生活に対するリアリティを、例えばアフリカの貧民の日常生活と同一視するかのような言説に終始されるのは、いったいぜんたいなぜなのか。
はっきり言えば、自分は足腰弱く目がよく見えないからと言わずに被災地をくまなく歩き自分の目で確認して、避難民のほんの数人とでもいいから、よく話を聞き、そのうえで、みずからの言説を展開なされるならば、なんのまちがった自己本位の論理を押し付けるような間違いを犯すこともなかったのであります。
ところが、あなたは、ここで大きな間違いを犯していたんです。コロンボ風に言えば、つまりはそう言うことなんであります。
それは、彼女のような文化人特有とも言ってもいい、ある「習性」によるのであります。
人の持つ時間は、すべての人にとって平等なんであります。
これをすべての人が、自分の好きなことに好きなだけ時間を使っていたとしたら、誰も決して「成果」を出すことは不可能なんであります。であるならば、作家であれば「執筆活動」にもっとも時間を使い、他はできるだけ時間を節約しようとする。
これを専門用語で言えば「取材」と言うのでありますが、この他の時間である「取材」を、無意識のうちに「テレビ村」と言う「思考のフレーム」で済ませてしまう。
もう少し若い作家は、これにネットを使いこなすのでありますが、彼女のような年代はそうはいかない。
結果的に、アフリカ旅行以外の取材源のほとんどが、新聞記事やテレビと、あとごくうちわの人間関係によって構成されることになるのであります。
すなわち、「テレビ村」が、「リアリティ」の大きな一部を占めるに至ったと言うことなんであります。
もちろんこれは、「テレビ村」で避難民の生活が十分に報道されていないと言っているのではありません。丹念に番組を追っていけば、例えば原発避難民のいつ帰還できるとも知れない毎日が克明にレポートされているのであります。
このうちのひとつでも見れば、「自助の精神も復旧復興に不可欠」なんてことは一言も言えなくなると思うのに、ウチダ先生や曽野綾子は、平然とこれを表明するのであります。
なんども例にあげますが、原発避難民の体験が、曽野綾子の「アフリカ体験」や、ウチダ先生の「阪神淡路震災体験」とはまったく似て非なるものであることを、まずもって気づく必要があるのであります。
さらに石巻市などことごとくの壊滅的被害も、いままで多くの「震災体験」とは本質的に異なるものであるのであります。
これらのいずれもがすべて、「帰還」のあてのない人生に、あの日を持って突然に放り出された人々なんであります。
この人々の、いまのいまの生活を、一言で言えば、「自助」以外の何者でもないのであります。
せめて、あの百年前の後藤新平のような、復興と言う「夢と希望」を熱く語りかけるリーダーがいたとするならば、「自助」でないものもあてにすることができたのに、これがまったくもって虚しいまでに、皆無。
要するに、「自助」の精神なんて、国や自治体が責任持って「夢と希望」を住民に示して初めて、意味を成すのであって、これが皆無にあっては、最初から「自助」するしか生きることがかなわない。つまりは、そう言うことなんであります。
であるからこそ、なでしこジャパンの乙女たちが与えてくれる無条件の「夢と希望」こそが、他のなににもましてきわめて貴重なはげましとなるのであります。
これが、エアコンの効いた部屋にいて、贅沢三昧な飲食にあけくれていては、わからない。わからないから、心の目を開くことも、心に血を通わすことも、ない。当然と言えば、当然すぎる、今回の「知性」の変調問題の「本質」なんであります。
あ、違った。今回のテーマは、こちらの問題ではなく、「希望」がやってくるでありました。
時事通信が7〜10日に実施した世論調査によると、菅内閣の7月の支持率は前月から9.4ポイント急落し12.5%となった。2月の17.8%を下回り、2009年9月の民主党政権発足以降、最低を更新した。不支持率は11.6ポイント増の71.2%だった。退陣を表明しながら時期を明確にしない菅直人首相への不信に加え、九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働をめぐる政府内の混乱などが響いたとみられる。首相の一段の求心力低下は必至だ。
(菅内閣支持、最低の12%=68%「退陣不明確に納得せず」−時事世論調査)
12.5%。
この数値であれば、「正常値」なんであります。
世間には、「バカ」や「キチガイ」は、1割くらいは常にいるもんなんであります。
であるからして、これ以外の人が、支持しないとなれば、もう先は長くはないんであります。
おまけに米国連邦債務の上限引き上げ問題。8月2日期限が眼前にせまってきた。おそらくは直前に議会は手を打つしかないと思われるのでありますが、これが日本にとっては「希望」につながる、「良い知らせ」なんであります。
もちろん、米国債のデフォルトによる日本経済直撃と言う「恐怖」の「シミュレーション」体験と言う意味でありますが、いや実際問題、これが現実になれば、どうなるか、日本国債デフォルトを含めて、関係者一同少しは肝を冷やして考えてもらいたいもんであります。 KAI
曽野綾子が、前回ここで取り上げた「透明な歳月の流れ」と言うコラムでの「大臣叩き」批判を今朝もこりずに書いているのですが、「知性の変調」はそのまま「順調」なようであります。
いちいち書き写すのも手間なので、要約すると「震災復旧復興の根本解決に自助の精神が必須なのに、メディアがそろってこれを支持しないで、口に苦いことを言う大臣叩きばかり、これが若い人たちの好みなんだとあきらめて、以降押し黙ることにした」そうです。
震災から4カ月にもなんならんとするいまのいま、この状況が、まるでおわかりになってはいない。
今回避難民は10万人規模にもおよぶと言うけれど、この4カ月のこの人々の避難生活を「自助」と言わずして、いったいなにをどうすることを「自助」と呼べばよろしいのでありましょうか。え?曽野さん?
曽野さんには、もう一度、後藤新平の言葉をかみしめて、いったいぜんたい「自助」とはどう言うことを言うのか一から勉強しなおしてもらいたいもんであります。
「まず我が身を修めるというほかはない。我が身を修める自治の力が治国平天下の基礎である。
かねて私のいう自治の三訣(さんけつ)『人のお世話にならぬよう。人のお世話をするように。そして報いを求めぬよう』と少年時代から心がけてこれを実行するのであります」
決して、ボランティアや自治体の世話にはならないと言って断ることでもなんでもない、「人のお世話にならぬよう」とする自分自身の心の姿勢を問うているのであります。それは、もう一つの「自治」、「人のお世話をする」と言う「互助」の精神からもおのずと導かれることでもあるのであります。すなわち「お世話をする」相手の人が「世話にならぬ」と断りなさいとは言ってはいないと言うことからも明らかなんであります。
小説家なのに、この程度の「言葉」の意義の違いもおわかりにならない。
10万人以上の避難民にとって、この4カ月、ほとんどないに等しい国の支援をよそに、いや支援のない中でこそひたすら生き延びるための「自助」の努力の毎日であったことが、なぜに曽野さんには、おわかりいただけないのでありましょうか。
そしてこちらは「自助の精神」からは真逆の「精神」をお持ちの方々のお話であります。
いま国会では原子力損害賠償支援機構法が審議されています。
その内容は、事故を起こした東京電力の負担軽減を優先して、何ら責任のない利用者や他の電力会社に先に負担を強要する、たいへん不当な内容です。
(中略)
当然みんなの党は一致団結してこの法案に反対しています。
しかし、自民党内では、われわれと同じ意見の人は少数派で、民主党内ではさらに異端視されています。
民主党からこの勉強会に出てきた小沢鋭仁さんは立派です。民主党は電力会社および電力労組に頭が上がらないし、自民党は電力会社および関連業界に頭が上がりません。
マスコミも電力会社に対して批判的な報道は控え目です。
この勉強会もさほどマスコミ関係者は来ていませんでした。電力に関しては、政界+電力会社+経産省+労組+マスコミの強固な既得権益保護層が問題を覆い隠しているように思います。
(東電救済法案の行方)
だからいっこうに自民党の支持率があがってこない。これが、なぜか彼らにはいつまでたってもわからないんであります。
その点において、自民党も曽野綾子も、一緒なんであります。
彼らや彼女らには、新聞やテレビを通してしか、国民の声が届かないし、また国民の声=大手メディアの声、と言うおおいなる勘違いがあるのであります。
件の「大臣叩き」も、「お前が言うか」と言うのがKAIをはじめとした大方の人々の気持ちであるにもかかわらず、メディアはその「言い方」の問題としてミスリーディングを繰り返す。もちろん、大臣の脅しに屈した負い目への意趣返しでありますから、国民の声などきいている余裕など、なかったと言うのがほんとのほんと真実なんであります。
それでも昔はこれでよかった。
曽野綾子にしろ、まさか自分の書いた新聞のコラムをネタにネットでコメントするやつがいるなどとは、いまだ夢にも思ってはいないし、ですから、いつまでも新聞読者だけの平和村の「思考のフレーム」が通用すると思ってしまう。
もしいま自民党が本気で政権を奪還する気があるなら、電気代があがることに機敏に拒否反応を示すだけでいい。
脱原発も、電気代は決してあげない、いや、下げる方法を必ず私たちは実現しますと言えばいいだけ。
なんでこんな誰でも分かることが、言えないのか。言えば間違いなく政権を奪還できるのに。
人は、見えないものにおびえると言いますが、はてさて、なにがコワイのでありましょうか? KAI
ホームページ時代も含めると、すでにここに10年以上にわたって「思い」を書き綴っているのでありますが、この文章は、常にKAIにとって、「心のアース」の役割を果たしてきたのであります。
この散歩道である大地こそ、人の生きる原点です。散歩を通して人体の電位をアースして大地と等しくする。これを毎日くりかえす。毎年温泉通いを続けてきたのも、露天で座禅を組みながら、身体すべてを大地と一体化する。
すると、いままでまるで鈍感であった身体が微弱なパルスに感応し始める。いままで見えなかったことへの視界が戻ってくる。原点への視界が戻ってくるのです。
そして、それはやがて恍惚となって身体エネルギーに昇華していくのでした。
こんな気持ち良い散歩は、ほんと久しぶり。
(原点回帰)
これが、なぜかこのところ、うまく「アース」ができない日々が続いてきたのであります。
そして、今朝きた新聞の中のコラムを読んで、この原因がわかったような気がした。
実際「欲も得もなく人の為に」尽くすことはなかなか実行できるものではない。しかし、誰でもせめて人のために安穏であるよう祈ることはできる。「何もできない」とパラドックスにとらわれる人は、いまだ善の心をもてる人である。小さくても善の心を持って世の為、人の為、家族の為、ひいては己の為になるように、生を慎み深く考え味わうことが、今の世には大切なことであろう。(せん げんしつ)
(【一服どうぞ】裏千家前家元・千玄室 小さくても善の心もって)
おそらく、これだなと思うのであります。
このところの言わば「バカ疲れ」の影響であります。あまりにも「バカ」で「恩知らず」に、精神のバランスに支障を来していたのでありますが、やはり「小さくとも善の心を持って」生きる以外にはないのであります。
これもまたシンクロニシティ。WOWOWで観た韓国映画に、テレビの前からしばし動けなかった。
80歳の農夫と40歳の牛の生を淡々と映し出した感動のドキュメンタリー
▼生涯,土地を守って暮らしてきた農夫チェ老人には,30年間使ってきた牛が1頭がいる。牛の寿命は,普通15年だが,この牛の年齢は,何と40歳。生きていることが信じられないこの牛は,チェ老人のベスト・フレンドであり,最高の農機具で,唯一の自家用車だ。
▼耳がよく聞こえないチェ老人だが,かすかな牛の鳴き声もおばけのように聞こえ,片足が不自由だが,牛に食べさせる草を刈るために,毎日山に登る。
▼その上,牛に害があるので,畑に農薬を撒かない意地っ張りだ。牛もまともに立つことができないが,チェ老人が手綱をとれば,山のような多くの荷物も厭わず運ぶ。
▼無愛想な老人と,押し黙っている牛。両者は,皆が認める友人だ。そんなある春,チェ老人は,獣医師から「牛が今年を越すことができない」という宣告を聞く。
(牛の鈴音)
40年も人間と一緒に生きると言うことは、こう言うことなんだと。
そして、そろそろ最期かと言うときに、老人は横たわる牛の鼻輪を鎌で切って取り外す。使役から解き放してやるのであります。
老農夫と牛の関係は、決して特殊でもなんでもない。生命と生命のつながりの根源は、これしかないのであります。
他人から奪うことしか頭にないものからすれば思いもよらないことでありましょうが、人は人に生かされている。人は、他人や動物たちの生命によって生かされているのであります。
決してこれを忘れてはいけないし、自分もまた「小さくとも善の心を持って」人のためになすことを忘れてはいけない。つまりはこう言うことなんであります。
前回取り上げた彼女たちも、全く違うかたちで、これをなしているのであります。
サッカー・女子ワールドカップドイツ大会は9日(日本時間10日)準々決勝を行い、日本は3連覇を狙う開催国のドイツを延長の末、1−0で下し、史上初の4強へと駒を進めた。
日本は0−0で迎えた延長後半3分、沢の右サイドへのパスに走りこんだ丸山がディフェンダーと競り合いながらゴール左隅に決めて1−0と先制。その後のドイツの猛攻をしのぎきった。
日本は日本時間の14日未明、豪州とスウェーデンの勝者と準決勝を行う。
(なでしこ、1−0で独下し史上初の4強)
決して自分たちだけのために戦っているのではないことを、彼女たち自身は無意識のうちにこれを一番よく知っているのであります。
みなさん、そろいもそろって知性に変調をきたされるのは、いったいぜんたいなぜなんでありましょうか。
松本龍復興担当相が、岩手、宮城両県を訪ねた際、「知恵を出したところは助け、知恵を出さないやつは助けない」と発言したことに対して、自民党の石原伸晃幹事長が「ご自身が誤解のないように(説明)するか、辞めるかのどちらかだ」と言った。しかし、私の周囲では、松本発言と同じ考えの人が多い。(後略)
(産経新聞、透明な歳月の流れ、松本復興相発言 偉大さと悪 両方あってこその人生、曽野綾子、2011/7/6、p.7)
松本大臣が知事に対して言ったことは、そのコンテンツだけをみるなら、ご本人も言い募っていたように「問題はなかった」もののように思われる。
Youtube で見ると、彼は復興事業は地方自治体の自助努力が必要であり、それを怠ってはならないということを述べ、しかるのちに「来客を迎えるときの一般的儀礼」について述べた。
(暴言と知性について)
KAIからすれば、お二方の「内容に問題なし」との認識こそ、大いに問題があると思うのでありますが、一方でその他、BLOGOSには、この問題に関して数えきれないくらいの問題ありとする論評があがっているのでありますが、その多くの理由にも微妙に違和感を感じざるを得ないのであります。
この違和感がなんであるのか、考え続けて、やっと、違和感の正体が見えてきたのであります。
ひっかかっていたのは「助ける」と言う言葉であります。
はたして、今回の問題は、「助ける」「助けてもらう」の関係が成り立つ問題であるかどうか。
たとえば、今回の震災が東京都直下の地震であったならば、今回の会談は「松本・石原」会談となっていたはずですが、このとき「松本」が「石原」に「助ける」と言う言葉をはたして使うことができるものかどうか。
これをひたすら考えるに、どうしても「一緒に協力して」としか言えないのではないかと考えるのであります。
すなわち、今回の震災は、日本と言う国家そのものを襲った震災だと言うことであり、一地方の震災のように自治体が主体となって復旧復興できるレベルをはるかに超えて、国家そのものの存亡にもかかわるレベルのものだったと言うことであります。
つまり、国家が主体となって復旧復興に取り組むべき問題であるからして、その責任者となった松本は、いの一番に、復旧復興の遅れを陳謝する以外には、首長にあわせる顔がないにもかかわらず、恫喝まがいに「助ける」「助けない」とふざけたことを吐いたと、つまりはそう言うことなんであります。
そもそもからして、「国」と「地方」の関係は、「助ける」「助けてもらう」関係ではなく、「一緒に協力しあう」関係以外にはないのでありますが、これを見事なまでに官僚制民主主義が捻じ曲げてしまっているのであります。
そして、もうひとつ、今回の問題でウチダ先生が書いている「自助努力」と言う言葉についてであります
自助と言えば、かの関東大震災後の復興プランを手がけた後藤新平。
NHKの「その時歴史が動いた」はいつも楽しみな番組です。今回は、人を衛(まも)る都市をめざして〜後藤新平・帝都復興の時〜です。
関東大震災後の復興プランを手がけ、現在の東京の原形をデザインした政治家・後藤新平。もともと医者だった後藤は、社会を生物の体にみたて、「人と人とのつながりがうまく機能することで世の中が発展する」という独特の思想を抱いていた。後藤のこの考えは、関東大震災後、帝都復興院総裁として東京の復興を任された際、「区画整理」という新たな都市計画プランの実現につながっていく。“社会の医者”とよばれた後藤新平の情熱と信念を描く。
都市計画についてKAIはまるで素人ですが、この後藤の考え方は、今KAIの考える自己組織化アプリケーションに通ずるものがあるように思います。
そして都市社会の構成員としてのあり方について、後藤はこんなことを言っています。
「まず我が身を修めるというほかはない。我が身を修める自治の力が治国平天下の基礎である。
かねて私のいう自治の三訣(さんけつ)『人のお世話にならぬよう。人のお世話をするように。そして報いを求めぬよう』と少年時代から心がけてこれを実行するのであります」
標題の「自助、互助、自制の精神」です。「人のお世話にならぬよう」が「自助の精神」。「人のお世話をするように」が「互助の精神」。「報いを求めぬよう」が「自制の精神」。
(自助、互助、自制の精神)
この意味でも、曽野綾子もウチダ先生も、まったくもって「知性」を欠いておられると言わざるを得ないのであります。 KAI
昨晩はあまりにはらがたって書いてしまいましたが、一眠りしてもまだ治まらないのであります。
いやほんまに、驚いた。
みなさん、テレビ見ました?
やくざと言ったら、やくざにおしかりいただくくらい、やくざ顔負けの品のない。いえですから、やくざでももっと品のあるセリフ吐きよりますがな。
もうめちゃくちゃ、はらがたってきた。
この復興の遅れ、まずもって開口一番、陳謝すべきは、
お前だろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
この「キチガイ」と言う言葉、久しぶりに使うのでありますが、「バカ」と何が違うかと言えば、「バカ」は「バカ」なりに「バカの思考過程」と言う「思考のフレーム」の「内部」の存在であったものが、これを「キチガイ」は「外部」にまで押し付けるのであります。
自分と会談する知事やこの取材記者にまで、言いたい放題。
報道するなと言ったその映像がテレビで流れ始めて、さすがにこの映像の「異様」さに非難が集中し始めると、「長幼の序」などとまるで本義を理解しない言葉まで持ち出して強弁する。
みなさん、こんな畜生以下の生き物が、日本国の「大臣」なんですよ。
おかしいと思いませんか?
気を取り直して、考えるのであります。なんでこんな「キチガイ」大臣までが出てくるのかと。
これを考えるヒントが、「キチガイに刃物」と言う言葉であります。
非常に危険であることのたとえ。
(気違(きちが)いに刃物)
今回の「刃物」がなんであるかと言えば、それは「権力」なんでありますが、この「権力」を「バカ」国民が「バカ」どもに与えてしまった。
すべての「災厄」の始まりは、まさにここにあるのであります。
「権力」さえ与えなければ、「キチガイ」も、釣りキチ三平などと言って、人に迷惑をかけない範囲で「キチガイ」として許容される存在でいられたのであります。さすがに本命「バカ」も「脱原発解散」などと言う「キチガイに刃物」を振り回すまでには至ってはいないものの、こちらもきわめて「危険」水域に突入しつつあるのであります。
整理すると、他人を傷つけさえしなければ、「バカ」であろうと「キチガイ」であろうと、この日本と言う自由主義の社会では、その存在は許容されてきたのであります。
しかし、これがそうではなかった。
あらゆるところで、彼らは「権力」を弄び、「国民」を傷つけ始め、これを繰り返し続けているのであります。
「キチガイ」大臣こそ、まさにこの象徴的存在なんであります。
これにいかに対処すればいいかは、もう何度もここに書いてきた。
被災者、避難民が、一斉に「ノーモア民主」の声をあげる以外にはない。
自分たちを、精神的にも、肉体的にも、傷つけ続ける政権への支持率が、いまだ20%前後にあることの「異常さ」、この自覚がないかぎり復旧復興は見果てぬ夢に終わると、KAIは断言せざるをえないのであります。 KAI
この奇妙な閉塞感を打ち破る方法は、恐らくこれしかないのかもしれない。
「勝利」であります。
まずは、W杯U17の「勝利」であります。
サッカーのU−17(17歳以下)日本代表が、世界の舞台で健闘している。メキシコで行われているワールドカップ(W杯)で堂々の8強入り。日本で開催した1993年大会に並ぶ好成績を海外で残した意義は大きい。
29日のニュージーランドとの決勝トーナメント1回戦は、レベルの高い技術と運動量で圧倒した。前半20分の先制点は、位置取りの甘いGKの裏をかき、右サイドでボールを奪ったMF石毛(清水ユース)が決めた。2分後には、少ないタッチで相手守備陣を崩し、最後は石毛が詰めて2点目。一気に流れをつかんだ。
その後も危なげないパス回しで日本が主導権を握った。DF早川(新潟ユース)が2ゴール、交代出場の南野(C大阪U−18)も得点して選手層の厚さを見せた。近い将来、A代表を支える育成年代の強化が、順調に進んでいることを証明した。
(育成年代、高い技術証明=U−17日本、ブラジル戦で狙う4強)
今回の内容からすれば、ブラジルに圧勝してもおかしくない。
それにしてもU17世代。1998年フランスW杯、日本が初めてW杯本戦出場を果たしたときにサッカーを始めた子ども達であります。当時なんの実績もなかった岡ちゃんによって成し遂げられたW杯出場が、13年たってこんなかたちでかえってくる。
これこそ「勝利」の力なんであります。
つづいて、「なでしこ」。
サッカーの女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会第6日は1日、レーバークーゼンなどで1次リーグB組の第2戦を行い、日本は沢(INAC)の3得点などでメキシコに4−0で快勝し、2連勝の勝ち点6で同組2位以内を確定させ、過去最高に並ぶ8強入りを決めた。沢は男女を通じて代表通算得点を最多の78点とした。
(日本8強入り、メキシコを4−0)
男子のサッカーとは、ボールコントロールのことで、女子のサッカーと男子の違いを例えれば、ビリヤードの玉と卓球の玉の違いであります。
もちろん女子は、ビリヤードの方ですが、この傾向はテニスにおいても顕著なんであります。
今年ウィンブルドン女子優勝のクビトバのストロークを見れば、男子のそれとほとんど変わらない。決勝戦の相手のシャラポアの「大女」がラケットを野球のバットのように振るスタイルとも、エナンのようなシャープな(古い男子のスタイルの)テニスとも違う、まさに男子のテニスを見ているような気になるのであります。
このスタイルのメリットは「安定」であります。
スピードに対してボールコントロールがきき、つまらないミスをしなくなるから、ゲームを見てても面白い。こう言うゲームの勝ち方を、真の「勝利」と言うんであります。
そして、こちらはまったく分野の違う「勝利」。
【ニューヨーク=黒沢潤】国際通貨基金(IMF)前専務理事でフランス出身のストロスカーン被告の性的暴行事件で、ニューヨーク州の裁判所は1日午前、被告の自宅軟禁を解除するとともに、保釈保証金(600万ドル)の返還を決定した。同日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、検察当局が被害女性の供述に疑念を抱いていると伝えていた。最終的に訴追が取り下げられる可能性もある。
今回の事件はIMFを大きく揺さぶっただけでなく、前専務理事が来年のフランス大統領選で野党・社会党の本命候補とみられていただけに、訴追取り下げとなれば、米検察当局にとっては大打撃となる。社会党内では来年の大統領選への前専務理事の出馬を期待する声も上がり始めたという。
同紙によれば、女性はニューヨークの高級ホテルでの事件後、薬物犯罪で逮捕されていた男に電話し、前専務理事を訴追した場合の利益などについて話していたという。通話は傍受、録音されていた。
女性は麻薬取引やマネーロンダリング(資金洗浄)にも関わっていた疑いが持たれており、亡命申請の内容にも事実と異なる部分があったという。
(IMF前専務理事の自宅軟禁解除 訴追断念も 性的暴行事件)
誰に対してかって言えば、間違いなく「サルコジの陰謀」に対してであります。ロシア、フランスに共通するこの体質は、昔も今も不変であります。
クリアストリーム疑惑で、政敵サルコジ(当時は内相)を追い落とすため虚偽告発をしたとして裁判にかけられていたドビルパン元首相が、無罪判決の翌日、テレビ討論ではっきりとサルコジ大統領に宣戦を布告した。
木曜日の判決後、サルコジ大統領は、「控訴はしない、この件は終わり」とコメントしたが、金曜朝、検察は控訴を発表した。ドビルパン元首相は、「これは検察の決定ではない。大統領府の高官から、検察官が大統領府に呼ばれ、控訴するよう命令された、と聞いている」、と爆弾発言をし、サルコジ大統領を 「二枚舌のうそつき」と非難した。ドビルパンのシンパも「サルコジはあと1年、ドビルパンを(法廷に)縛り付けておきたいのだろう」と憤慨し、2012年の大統領選に向けて、ドビルパン擁立の姿勢を深めている。これに対して大統領府は「ドビルパンのウソ告発には反応したくない」と応戦し、状況は泥沼化している。
2人とも保守与党UMPに属しているが、党はすでにサルコジ派、ドビルパン派に分裂しており、ドビルパンが2012年の大統領選に打って出るならば、新党を結成することになるだろう、という観測もある。
フランス人の友人によると、党内での大統領候補選出戦では、有力な競合に対して何らかの告発、裁判沙汰が引き起こされ、対立候補が淘汰されるのが常だという。今回は両方とも弁がたち、しぶといので、行方が注目される。
UMP議員の一人は、この対決を「ヴェルダンの決戦だ。双方とも2年間塹壕に留まって戦うことになる」と表現した。第一次大戦の独仏消耗戦ヴェルダンのようになってしまったら、経済政策、失業対策などはどうなってしまうのだろう。
(サルコジxドビルパン、ヴェルダンの決戦)
と、最後は、本命の「勝利」であります。
ついさきほど終わったウィンブルドン男子決勝。ジョコビッチが6-4、6-1、1-6、6-3でナダルを下して初優勝。
これを見れば、なぜナダルが優勝したかが、一目瞭然なんであります。ナダルにとって決勝でジョコビッチにあたらないようになること、すなわち準決勝でジョコビッチがフェデラーに敗退することが絶対条件であったわけであります。そして案の定、フェデラーに負けた。
(全仏に学ぶ勝負の勝ち方あるいは「相性」の本質とは)
しかし、フェデラーがツォンガに敗れたために(この理由はまた別の機会に書きますが)、ジョコビッチが決勝に勝ち残って、そして大方の予想通りナダルに「勝利」したのであります。
まさにKAIの「予測」の「勝利」なんであります。
なんでこうなるのかは、前回書いた通りではありますが、ものごとの「大気の流れ」を見ていれば、これは自然に見えてくることなんであります。
いまこの「勝利」をきっかけにするしか、方法がない。そう言うことなんであります。 KAI
なかなか興味深いレポートを見つけましたので、ご紹介しておきます。
平成19 年10 月1 日の郵政民営化から約3 年半が経過した。郵便事業会社、郵便局会社の収益が悪化する一方で、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の収益は比較的好調であり、以前から課題となっている金融偏重の収益構造がさらに強まっている。
ただし、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の総資産も減少傾向にあるため、先行きを懸念する向きもある。新規事業への参入による収益力の向上や収益源の多様化、貯金や保険の限度額の引上げが必要との見方があるが、他の民間事業者は反発し、郵政民営化委員会は、郵政株式処分停止法によって完全民営化の見通しが立たなくなった以上、新規事業や限度額の引上げは認められないとしている。
郵政事業の抜本的見直しを掲げる現政権が国会に提出している郵政改革法案等の成立見通しは立っておらず、郵政民営化法に基づく従来の路線への復帰も難しいため、日本郵政グループは将来を見据えた経営が困難な状況に陥っている。
(郵政民営化4 年目の現状、国立国会図書館、ISSUE BRIEF NUMBER 715、中里孝、2011/6/15)
これに対して、次郎くん、
「私どもの今後の体制がどうなるかという、明確な道筋がつかないとなかなか有機的な本当の復興計画が立てられない」
こんな言い訳をするような人物を、「経営者」とは呼ばないと言うのも、これまた世間の常識でありますが、非常識「バカ」がいすわり続ける限り、「非常識」が「常識」となるのも、これまたいたしかたないと諦めるしかないのであります。 KAI