都立高校での南京虐殺教育の実態を、娘から聞いて、吐き気がしてきた。
なんで、こんなうすらきたない教師たちが、公務員でいるのか。
さすがの石原慎太郎も、これを排除できない。
これを大阪の橋下徹が、ついにやってくれているのであります。
KAIは最大級のエールをおくるのであります。
大阪維新の会が教育基本条例の素案をまとめた。
知事・市長による教育目標の設定や教育委員の罷免権など、教育委員会に対する政治主導を明記したほか、校長による教職員への権限強化など組織管理の徹底も打ち出している。
(中略)
学校に政治と市場を介入させてはならないと私が言うのはそのためである。
別に政治や市場が本質的に邪悪であるとか有害であるとか言っているわけではない。
政治と市場は社会成員の成熟を望まない。それは先方の事情であって、私がとやかく言う筋のものではない。どうしてもそうしたいというなら、そうされればよい。
私はただ「お願いだから、学校にはこれ以上入り込まないで欲しい」と懇願しているのである。
このまま政治と市場の介入が進めば、学校の本質的機能は遠からず回復不能なまでに破壊されてしまうだろう。
だが、「大人」を作り出す制度を失えば、そのときには、共同体そのものが壊滅してしまうのである。
政治が支配する相手も、市場が収奪する相手もそのときにはもういないのである。
それでは政治家のみなさんもビジネスマンのみなさんもお困りになるだろうから、みなさんの明日のたずきのためにも、司法と医療と学校には口を出さない方がよろしいですよと申し上げているのである。
(教育基本条例について)
教育とは、なんであるか。
それは、「教育者」と「被教育者」との関係性以外の何者でもないのであります。
つまり、誰が誰に教えるのかってことであります。
ここでお気づきいただきたいのは、ここには「何を」教えるのか、これは関係ないと言うことであります。
別の言葉で言えば、教育者の資格があれば、「何を」教えてもかまわないのであります。
では、都立高校の教師が南京大虐殺の特別教育をしてもいいのではないかと言えば、それはまったくもって根本から間違っているのであります。
そもそもにおいて、そんな教育をする「教師」の資格は公に与えられてはいないのであります。
これをご理解いただけない方には、歯科医師が、外科手術をするようなものと言えばおわかりでしょうか。
ですから、都立高校ではなく、どこかの(公立の)大学で、教授が学生に南京大虐殺の教育をやりたければ、これはいくらでもご自由にどうぞ、となるのであります。
政治が、司法と医療と学校に口出ししないと言うのは、あくまでその「中身」についてであります。
司法制度、医療制度、学校制度、これらを社会をよりよい方向に維持していくべく改革することができるのは、政治をおいて他にないのであります。
さて、こまかい議論は省略するとして、みなさんには、ぜひとも教育論の本質が「教育者」にあることをご理解いただきたいのであります。
すなわち、ウチダ先生のような「教育者」と言う具体的な姿の見えない教育論からは、否定はあっても生み出されるものはなにもないのであります。
そうではなく、前回のエントリーで取り上げた野村克也や川淵三郎といったような人物を、「教育者」として、いかに社会が重用していくか、これがもっとも重要なんであります。
アップルコンピュータ創立
CEOのスティーブ・ジョブス氏のスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ
PART 1 BIRTH
ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。
(中略)
最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stayhungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」
それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。
Stay hungry, stay foolish.
ご拝聴ありがとうございました。
(スタンフォード講演録より、翻訳 市村佐登美)
そして、これは日本の事例。
明治時代、札幌農学校(現北海道大学)の初代教頭を務め、「少年よ、大志を抱け」(Boys be ambitious)の言葉を残したウィリアム・スミス・クラーク博士には、もう一つ知られたエピソードがある。
着任したクラーク博士は、札幌農学校にあった煩雑な校則に対し、「校則は一つ、『紳士であれ(Be gentleman)』の一言で十分」だと求めたという。
「大志を抱け」はクラーク博士が帰国の際、札幌近郊の島松駅逓所(現北広島市)まで見送りにきた学生たちに述べた言葉として伝わる。ゆかりの北広島市ではフロンティア精神を受け継ぐ教育を目指し、小学校などでクラーク博士のほか、寒冷地の稲作の先駆者、中山久蔵(きゅうぞう)ら先人の取り組みについて教える授業も行っている。
(北海道 クラーク博士の名言はもう一つ「紳士であれ」)
「教育論」において大事なことは「教育者」であり、これを育てることも大事ではあるけれど、もっと大事なことは「教育者」をいかに見出していくか、教育を論ずる方々にはこれがもっとも重要であることをご理解いただく必要があるのであります。 KAI
目の前にディフェンス、その後ろにゴールキーパー。
高めのドリブルボールを左足でボレーシュート。と思いきや、そのままインサイドタッチでワンバウンドスイッチさせたボールを右足ボレーシュート。左コーナーへと思いきや一転右コーナーへの強烈シュートに、ディフェンス、キーパー、反応できない。
こんなシュート、見たことない。もちろんこんなサッカー、面白くないわけないのであります。
このボール捌きと風貌は、ロナウジーニョを彷彿させる。対韓国戦で絶妙のアシスト2本を決めた、清武弘嗣(きよたけひろし)であります。
やっと個人レベルで、欧南米の選手並みの技術を持ったプレーヤが現れた。
次の準々決勝の相手はブラジル。
今回の内容からすれば、ブラジルに圧勝してもおかしくない。
それにしてもU17世代。1998年フランスW杯、日本が初めてW杯本戦出場を果たしたときにサッカーを始めた子ども達であります。当時なんの実績もなかった岡ちゃんによって成し遂げられたW杯出場が、13年たってこんなかたちでかえってくる。
これこそ「勝利」の力なんであります。
(希望は思わぬ処からやってくる)
これもまた大きな「大気」の流れ。いったい、いま何が起こっているのか。
これを理解するために、もう一つのお話なんであります。
ポスト高田は生え抜きの荒木大輔(現1軍チーフ兼投手コーチ)――。それが球団の既定路線だった。
荒木といえば甲子園の申し子だが、小川も負けてはいない。75年の夏、千葉・習志野高のエースとして全国制覇を達成しているのだ。
(写真:「僕も次(の監督)は(荒木)大輔だと思っていた」と率直な心境を明かす)
(中略)
中央大に進学後、野手に転向し、4年時には日米野球の学生日本代表メンバーに選ばれた。岡田彰布(現オリックス監督)、原辰徳(現巨人監督)とクリーンアップを組んだ。その後、社会人の名門・河合楽器へ。都市対抗にも2度出場した。
(中略)
小川のプロでの実働は11年。ヤクルトで10年、日本ハムで1年プレーした。
主に外野手として940試合に出場し、412安打、66本塁打、195打点という記録を残している。通算打率は2割3分6厘。典型的なバイプレーヤーだった。
指導者としての基礎をつくったのは知将・野村克也である。プロ入り9年目、野村がヤクルトにやってきた。ユマキャンプで小川はID野球の洗礼を受ける。
「野村さんといえば、ミーティング。毎日、ずっとやると聞いていました。最初の不安は“寝ちゃったら、どうしよう”(笑)。でも、いざ始まったら寝るどころじゃなかった。もうノートをとるのに必死。大学の講義だって、あんなにまじめに受けたことはありませんでした」ある日のミーティングで野村はいきなり小川に質問をぶつけてきた。
「バッティングとはなんだ? 小川」
「えーっ!? ボールをよく見ることでしょうか?」
「違う。バッティングは最大の攻撃手段だ」
禅問答である。ベテランの知力を試すことで、野村はチームのレベルを把握しようと考えたのだろう。小川には忘れられない試合がある。90年4月28日、神宮での巨人戦だ。
ピッチャーはサウスポーの宮本和知。彼のカーブはタテに割れる。小川はその前の打席までカーブで2三振を喫していた。
ベンチに帰ると、野村のカミナリが待っていた。
「オマエ、何年、野球やっているんだ!」
「……」
「(キャッチャーの)山倉(和博)の性格を考えろ。初球は真っすぐがくる。その後は真っすぐと思わせておいてカーブだ」
要するに山倉は前の打席で三振にとったカーブで、また勝負してくる。ならば初球のストレートは見逃し、2球目以降のカーブを待てというアドバイスだ。初球、野村の見立てどおりに真っすぐがきた。
「あぁ、本当に真っすぐがきちゃったよ」
そしてワンスリーのカウントに。小川は真っすぐを得意としていた。しかし野村の指示はカーブ狙いだ。
「またカーブがくるのかなぁ……」
すると、本当にカーブがきた。後方へファール。フルスイングしたことで軌道のイメージがつかめた。野村が予言者のように思えてきた。「こうなったら、また次もカーブだよな」
今度はドンピシャのタイミングでカーブをとらえることができた。打球はレフトスタンドへ消えた。
「ほれ見ろ」
小川を出迎えたのは野村のドスの利いた声だった。
「はぁー、このおっさん、スゴイな」
ID野球信者になるのに時間はかからなかった。野村にはいつも叱られてばかりいた。それだけにたまに向けられる褒め言葉がうれしかった。
「ある試合で、僕がレフトの守備固めに入ったんです。自分としては普通に打球を処理したつもりだったんですが、翌日、神宮に来るなり、“小川、昨日はナイスプレーだったな。うまいヤツの追い方だ、あれは”と声をかけていただいた。いきなり言われてビックリしたんですが、ちゃんと見てもらっているんだなと。控えの多かった僕のような選手にはうれしい一言でした」野村の教えは、コーチや2軍監督になってから生きた。
「野村さんは、よく“人間的成長なくして、技術の進歩なし”と語っていました。この言葉の意味が今になってわかるんです。
野村さんが監督をしていた頃、身だしなみにはうるさかった。茶髪、長髪、ヒゲは禁止でした。それが僕が2軍監督になった頃にはだんだん緩くなってきていた。それをもう1回、厳しくしようと。特に2軍の若い選手には、野球以外の部分が大事になってきますね」シーズン終了後、「代行」の2文字がとれて、晴れて「監督」になった。苦労人の昇格人事には選手の間でも歓迎ムードが漂う。
エースの石川雅規は言う。
「小川さんがヘッドコーチから監督代行になって、いい意味でチームが変わりました。小川さんは僕や青木にもズバッと言ってくれるので、僕らはやりやすいし、また、やらなければという気にもなる。
目指しているのは野村さんの野球ですね。細かいことをしっかりやっていこうと。時間にもうるさい。でも、それは小川さんの色なので、いいことだと思います」十人十色、果たして小川野球はどんな色なのか。
「色って最初からついているものでしょうか。これは僕の勝手な解釈かもしれませんが、色って後でわかるものだと思うんです。僕の場合、まだ監督としての実績はほとんどない。色なんかついているわけないじゃないですか」
白地のキャンバスに絵を描く作業は、まだこれからなのだと苦労人は言いたかったに違いない。2軍監督、9年。雌伏から至福へ――。来季は采配が名刺となる。
( ヤクルト・小川淳司「史上最強の地味監督」(後編))
かつて日米野球でクリーンアップを組んだ、岡田彰布、原辰徳とともに、いまやそろって監督として互いに戦い合う関係にあるのであります。
1990年、ヤクルト監督になった野村は、新人の古田敦也を正捕手に起用し、野球のイロハを教えたのであります。しかし古田は、まだ若すぎた。後に監督になってからも、これを生かすことはできなかった。
これに対して、ヤクルト9年目の小川。上掲の記事にある通り、野村ID野球を、水を吸う綿のように吸収していったのであります。
このID野球とは、他の野球と何が違うのか。
野村の考える「野球」は、選手が戦うのではなく監督が戦う。監督が戦うためには、将棋のコマのように選手が監督の忠実な手足にならなければ、絶対に勝つことができない。そのために、古田にしつこいまでに戦い方を教え込んでいったのであります。この古田がピッチャーを教え、野手に指示を出して、野村の野球を教えていく。勝つ方法を教えていくのであります。
(楽天が勝てないのにはわけがある(2))
つまり、監督と言う「個人」がまず、自身の「人間的成長」と「技術的進歩」が問われていると言うことであり、これを選手に伝授する。そして伝授されながら選手は「人間的成長」し「技術的進歩」して初めて、チームの「勝利」が約束されると言う真実であります。
みごと、これを小川がやってのけた。
21歳の清武弘嗣と、53歳の小川淳司。この二人の間のキーワードは、この「個人」の「人間的成長」と「技術的進歩」であります。
ちょうど親子ほど離れた二つの世代で、共時的に、これが駆動しているのは、いったいなぜなのか。
これを理解するヒントが、既にあるのであります。
「野村さんといえば、ミーティング。毎日、ずっとやると聞いていました。最初の不安は“寝ちゃったら、どうしよう”(笑)。でも、いざ始まったら寝るどころじゃなかった。もうノートをとるのに必死。大学の講義だって、あんなにまじめに受けたことはありませんでした」
ある日のミーティングで野村はいきなり小川に質問をぶつけてきた。
「バッティングとはなんだ? 小川」
「えーっ!? ボールをよく見ることでしょうか?」
「違う。バッティングは最大の攻撃手段だ」
禅問答である。ベテランの知力を試すことで、野村はチームのレベルを把握しようと考えたのだろう。
清武弘嗣がU15から所属していた大分トリニータに関しては記述がないのでありますが、これは同じJリーグ・サンフレッチェ広島の下部組織の「教育」に関する記述であります。
教育
一流のサッカー選手である前に
一流の社会人であれ
━━今西和男
サッカーの技術的な面だけではなく、学業・生活面の指導など人間教育にも非常に力を入れている。これは、参考にしたオランダのクラブの方針(下記参照)であることに加え、下部組織を整備した今西和男の哲学によるところが大きい。
ユースでは、さまざまな業種の人物を招いて講話を開いており、プロになれなかった選手の就職および大学進学率はJリーグユースの中でもトップクラスを誇る。さらにメンタル面でのアプローチも積極的に取り組んでいる。
気持ちには引力がある
━━森山佳郎
森山佳郎ユース監督の方針で初対面の人物と円滑にコミュニケーションを図るために、その手段としてパフォーマンス等を奨励している傾向がある。これがユース卒業生のトップチームにおける「サンフレッチェ劇場」に繋がっている。2011年、ある国際大会でのユース生のパフォーマンス動画が話題となり『やべっちFC〜日本サッカー応援宣言〜』でも取り上げられた。
(サンフレッチェ広島の下部組織)
川淵三郎。1936年12月3日生まれ。
野村克也。1935年6月29日生まれ。
ともに70代半ばの二人の男。終戦を小学生(国民学校)で迎えた世代であります。この二人の、「意志」を伝える「教育」。いままさにこの「教育」が、清武弘嗣と小川淳司、この二人へと「伝染」しているのであります。
KAIが、いまここで言わんとすることは、ただ一つ。
「教育」こそ、「人間的成長」と「技術的進歩」を生むのであり、「教育者」と言う「主体」なくしてこれは無意味であり、なしえることはありえないのであります。
そしてこれは、ウチダ先生の、教育基本条例についてと言うエントリーに対する反論であるのでありますが、この(詳細なる)理路は、乞う次回なのであります。 KAI
まさにこれを、オープンプリンシプルによる進化と言うのであります。
昨晩(米国時間15日早朝)に発表されたGoogleによるMotorola Mobility(以下、MMI)の買収。まさに「青天の霹靂」といっても過言ではないこの発表に至る両社の携帯関連事業の経緯を、ここで簡単におさらいしてみたい。
(モトローラ・モビリティがグーグルに身売りを決めるまで)
そして、このインターネット社会の進化を支える基本原理が、オープンと言う原理原則、オープンプリンシプルなんであります。
オープンプリンシプルの一例が、随分前のエントリーにあるのであります。
ある一定以上の「大量」の情報「すべて」を、メンバー全員が共有する意味とは
これは主従関係の逆転が起こっていると考えると全てうまく説明できます。すなわち情報を扱う人間(組織関係)と情報との主従関係の逆転です。
今までの組織の中で情報を扱うことは、あたかも野球選手がボールという情報をキャッチボールしているようなものでした。それに対して、大量の情報を共有するとは、情報という水で満たされたプールの中で泳ぐ水泳選手のようなものと言えばいいでしょう。
もう少し正確な表現をすると、今までは組織の都合に合わせた限られた情報を取捨選択して流していたと言うことであり、これがメンバー全員で大量の情報を共有するようになると何が起こるか。
それは、大量の情報が今度は主になって、これに合わせるかたちで、メンバー自体のネットワークが変化を遂げていくと言うことなのです。つまり、情報自体のダイナミックな変化に合わせて、この溢れかえる大量の情報を効率的に意味解釈できる組織(ネットワーク)に、つぎつぎと自分たちの組織形態を変化させていくと言うことです。まさにこれこそ自己組織化ではありませんか。
(オープンソースの意味が分かった(2))
進化とは、人間が生き物である以上、生き物と共通した進化論に従うものとの認識はそう間違ってはいないと思うのでありますが、この共通する進化の原理原則こそ、オープンプリンシプルなのであります。
またまた、わかりにくいものいいですまない。
要するに、GoogleによるMotorola Mobility買収は、決してMotorolaの持つハードウェア価値と言う一部で評価するべきものではなく、サービス価値、ユーザー価値へと進化を遂げようとするGoogleの進化形にすぎないとみなす必要があるのであります。
ですから、SamsungやHTC、あるいは日本メーカーなどのAndroid陣営にとっては、今回の事態は、脅威やリスクとなるものは一切なく、それどころかAndroid陣営がより強化されるものであると、KAIは考えるのであります。
その証拠に、と言って、GoogleCEOのコメントをお読みいただければ、と言うのは論拠として安易ではありますが、そう言うことなんであります。
先日の、日立、三菱重工経営統合騒ぎも、このオープンプリンシプルによる進化の視点からみても、あり得ない選択であったことは明らかなんであります。
すなわち、合併を「ドライブ」するものが、「規模」の時代から「オープンプリンシプル」の時代へと、明らかに大きく変革を遂げつつあることを、いまKAIは確信するのであります。 KAI
前回、「もうよもや騙されるものはいないはず」と書いたのに、なんでこの夫婦のペテンにこうも簡単にひっかかるのか。
正しいことをやってきたし、正しいことをやっているとの、確固たる信念に憑りつかれている夫婦が、そんなやすやすと権力の座から降りるわけないと思っていたら、同じ思いの人がおられるようであります。
菅直人首相は10日の衆院財務金融委員会で、自らの進退条件に挙げている特例公債法案と再生エネルギー特別措置法案が成立すれば、「速やかに民主党代表選の準備に入る。新しい代表が選ばれたときには首相の職を辞する」と述べ、退陣を明言しました。
普通なら今国会中の8月末までに退陣することを正式表明したととれる発言ですが、6月2日にあれだけのペテンをやった人です。私はまだ全面的に信用することはできません。のらりくらりとかわされているうちに、今国会が閉会してしまったら、次の国会まで菅首相を強制的に辞めさせることはできなくなります。
(小沢一郎が菅降ろしでハラをくくった)
この「夫婦」、民主党が「新代表」選出直後に、「新代表」を「ストレステスト」にかけ、「新代表」を無効にしようと言うのであります。もちろん替わりの「新代表」の「ストレステスト」も準備万端。これを察知した前原は、早々に代表レースから撤退を表明。
おや、そうこうするうち、季節は長月。
小沢くんの不信任案提出決意も、見事空振りとなって、究極のウルトラC級「辞任撤回続投宣言」であります。
主要閣僚の一斉辞任は、すでに代表選で実施済み。人望、能力一切無視の新閣僚は一度はなりたや大臣様様、候補にことかくことはないのであります。
小沢くん、もはや党を割るしかないのであります。ちょっと遅すぎましたが。
真夏の夢、ならぬ、ウソか真か、真の悪夢ならんことを、ただただ祈るのみであります。
と、いつもはこれでお仕舞いにするのでありますが、今回はおまけ付き。
太陰の人、少陰の人、太陽の人、少陽の人、陰陽和平の人
◆黄帝が少帥に問うて言われる。
余はかつて、人間には陰の性質の人と陽の性質の人があるときいた。この陰人と陽人はどのような者であろうか?●少師が答えて言う。
天地四方のこの宇宙におきましては、五行にもとづく分類法が最も普遍的でありまして、人もこれに従っています。ですから陰陽と申しましても、一つの陰、一つの陽の二者に分けるだけでは不充分であります。その概略くらいなら申しあげられますが、そのすべてについては、口ではなかなか申しにくうございます。◆黄帝が言われる。
ほんの概略だけで結構である。聖人とか賢人とかいわれる人ならば、これを明らかにすることができるのではないだろうか?●少師が言う。
普通、太陰の人、少陰の人、太陽の人、少陽の人、陰陽和平の人と区別しまして、大凡の五者は、態度も筋骨気血などの体質も等しくはありません。
◆黄帝が言われる。
それらの者の等しくない点をたい。●少師が言う
・太陰の人表面ではへりくだってうやうやしく落ちついています。物をとり入れることが大好きで、差し出すことを嫌います。心はなごやがである様子で、気持を顔に現わしません。積極的に物事に対処することはなくて、他人に遅れて行動します。これが太陰の人の特性であります。・少陰の人は、細かいことまで欲張で、人の道を踏みはずしがちで、他人の損失をみるといつも自分が得をした気になり、また他人を傷つけることを喜び、他人の繁盛を見ると、むかむかして怒り出します。根性が悪くて慈しみの心がありません。これが少陰の人に特性です。
・太陽の人は振る舞いが得々としそ満足げで、いつも大きなことばかり言い、能のないくせにほら吹きです。希望が大きく、行動は果断で事の是非を考えません。大事をなすも平気で、失敗し止むこともありません。これが太陽の人の特性です。
・少陽の人は、細々と物事を考え、慎重に行動し、高慢ちきで、ちょっとした官職につくと意張りくさって得々としています。つき合いがよくて、引込み思案がないのが、この人の特性です。
・陰陽和平の人は、振る舞いが安らかで静か、妄りに恐れたり喜んだりすることがなく、物事に従い、あるいはまた時勢に反抗せず、時の流れに従い、その為に心変わりしたかのような態度をとることもあります。高位にあってもへりくだった様子で、極めて太っ腹で、自分では何もしないでも、世の中が丸く治まります。これこそ最高の政治であり、至治と申します。
これが五種類の人の特性で、昔の名医はこの五種の特性をみて、治法を行ないました。治法の原則は勿論、盛んなものは写し、虚したものは補すことにあります。
(中略)
●黄帝が言われる。
では、五態の人の外見上の鑑別法はどうか?◆少師が言う。
太陰の人は、外見は黒くうすよごれた皮膚をして、物思いにふけったような卑しげな態度で、うつむき加減、目じりが長く切れ、せむしのようでひかがみが伸びずに曲がっています。このような見かけの姿をしていたら、その人は太陰の人です。少陰の人は、外見上はさっばりとした態度ですが、どこかコソコソしたところが見え、もともとは陰気ですが、何か事があると急に騒がしくなります。歩くときは俯き加減です。これが少陰の人の外観です。
太陽の人は、見かけは得々として、ものに無頓着な態度でそりかえって、ひかがみを曲げてます。これが太陽の人の外です。
少陽の人は、立っているときは反り返、歩くときは上体を左右に揺るがせます。そして立っているときも歩くときもそり反っていますがら、腕は背後のにあるようでです。これが少陽の人の外見上の特徴です。
陰陽和平の人は、外見上は安らかで素直で、温かくく喜ばしく、眉目は形がよくてはっきりしています。多くの人は、この人を指してあの人は君子だと言います。このような人が、陰陽和平の人です。
(黄帝内経霊枢、通天篇第七十二)
この夫婦、見事なまでの「少陰+少陽」の組み合わせの「近親婚」。夫婦一組でバランスが取れているから、強力なんであります。少師答えて曰く、治療法これ在らざるなり、とな。 KAI
お盆であります。3.11から6カ月目になると言うのに、であります。あまりにも時間ばかりが、無駄に過ぎていくのであります。
こんな状況にもかかわらず、あいもかわらず、「自助」と言う言葉を好んで使う人々が絶えないのは、いったいぜんたいなぜなのか。(正論だった「松龍発言」−反省すべきは地方首長では?<いったいなぜ首長が反省?笑止千万としか言いようがない)
いまのいまを被災者が「生き延びている」のは、「自助」以外にはありえないのに、なんでこんな簡単なこと、理解できないのか。
いまだ、節電の名のもと、夜間の街灯を消している自治体があるのもそうでありますが、これらことごとくのお頭には、まったくもって想像力、思考力、構想力が決定的なまでに欠如しているとしか言いようがないのであります。
「復興」とは、いったいなんであるのか。
この「構想力」の欠如もまた、まことに甚だしい限りなんであります。
「復興」の「復」とは、「往復」の「復」。すなわち「帰る」であります。
どこに「帰る」のかと言えば、もちろん元いた家に帰るのであります。
この家が津波で流されて、ない。
どうするか。
これこそが「復興」の「基本計画」なんであります。
この「帰る」ことを原点において考えると、「復興」とはこの二つしかない。
■元の居住地に整備して戻る
■高台など安全地域に居住地を移転
この二つのどちらを選択するか、被災地域ごとの自治体が集合して決める。もちろん地域によっては、この二つの組み合わせもありえるけれど、基本方針はこのどちらかになると言うことであります。
国は、地方がこの二つを選択するための法律を整備する。
例えば「元の居住地に整備して戻る」ためには、あらたな防潮堤の建設や、避難塔あるいは避難用ビルと緊急警報塔設置の義務化などを定め、再び巨大津波の被害にあうことがあったとしても、家屋は流されても人命の被害を最小化する施策を行うなどであります。
特に、避難困難者のいる病院、介護施設、老人施設、在宅介護家庭については、万一の場合確実に安全を確保するために、防潮ビルの建設基準を示し、介護家庭となってしまった場合の介護期間中の施設の斡旋ルールの整備を図っていくのであります。
また、「高台など安全地域に居住地を移転」を選択した地域については、元の居住区域を単に公園などにするのではなく(もちろん公園にすれば避難塔付き)、漁港などを中心にした、流されてもいいことを前提にした産業施設を積極的に建設し、産業復興を積極的に推進していくのであります。
福島原発避難地域については、ここ10年を目安に後者とし、福島県とその近隣県に居住地を確保し、新たに街を建設する。生産農家や工場については居住地域とは別に用地を確保し、事業の再開を全面保障するのであります。
そして10年後。安全が確認された元の居住地域は、住民の選択によって、もし「元の居住地を整備して戻る」となった場合は、国が責任もって防潮対策した街に再建するのであります。そしてみな元の家に「帰る」のであります。
お盆で、人はなぜ帰省するのか。
それは帰るべき「家」があるからでも、人が挙って帰るからでもなく、ただ一つ、「帰る」ことそのものに意味を見出しているからに他ならないからであります。
「帰る」ことと「祈る」こと。先祖の霊の「帰り」を「祈る」と同じ。人は「帰る」こと、そのものに根源的な「希望」を感じることができるのであります。「復興」の本質が、この「帰る」ことにあると理解して初めて、「復興」は始まる。つまりは、そう言うことなんであります。 KAI
1週間、間が開いてしまいましたが、なにごとも集中するということは重要なんであります。おかげさまで、1週間の間に、良い仕事をすることができたのであります。
久しぶりにゆっくり深夜のテレビを眺めていたら、こんな番組に出くわしたのであります。
日本バドミントン史上初のオリンピックのメダルに最も近いといわれている二人、
末綱聡子選手(30)前田美順選手(25)ペア。
一躍脚光をあびた北京オリンピックから3年、世界ランクは3位にまで上がった。
末綱・前田ペアの強みは勝つことへのあくなきこだわりだ。
練習中、互いに激しく言い合う場面は関係者の間ではすっかりおなじみの光景だという。
自分にも相手にも完璧を求め、遠慮しあうことはない。
それでも試合になると二人の息はぴったりと合う。
末綱・前田ペアの戦い方は相手のショットを拾いまくってラリーに持ち込み、
末綱選手の絶妙なラケットさばきで相手のショットを乱し、
前田選手の強烈なスマッシュで決めるというものだった。
互いの長所を生かし好機を待つ。
しかし、世界の頂点を目指しこの夏、大きくスタイルを変えようとしている。
それは「攻撃的レシーブ」。
相手のスマッシュをネット際で、スマッシュ気味に強く打ち返すというものだ。
8月にはオリンピックの前哨戦となる世界選手権が、ロンドン・オリンピックと同じ会場で行われる。
勝負の夏に臨む末綱・前田ペアの戦いの日々を追った。
(アスリートの魂、メダルへの再挑戦 バドミントン 末綱聡子・前田美順)
このお話は、先月の全仏での展開でありましたが、この全英、フェデラーが準々決勝でツォンガに負けなければ、全仏とまったく同じ組み合わせの準決勝、決勝になっていたのであります。
しかし、フェデラーがツォンガに敗れたために(この理由はまた別の機会に書きますが)、ジョコビッチが決勝に勝ち残って、そして大方の予想通りナダルに「勝利」したのであります。
まさにKAIの「予測」の「勝利」なんであります。
(希望は思わぬ処からやってくる)
スエマエペアが、いま苦悩している問題の解決にとって、これは重要なヒントとなるのであります。
【ロンドン時事】バドミントンの世界選手権第6日は13日、当地近郊のウェンブリーアリーナで各種目の準決勝が行われ、女子ダブルスで第3シードの末綱聡子、前田美順組(ルネサス)は第1シードの王暁理、于洋組(中国)に0―2(8―21、15―21)で敗れ、決勝進出は成らなかった。
3位決定戦は行われないため、末綱、前田ペアは2007年の小椋久美子、潮田玲子組以来となる銅メダルとなった。
(末綱、前田組は3位=世界バドミントン)
なぜか。
すでに、以前のエントリー<全仏に学ぶ勝負の勝ち方あるいは「相性」の本質とは>でご説明したとおりでありますが、トップレベルの戦いは「予測」外ししかないのであります。「攻撃的レシーブ」と言うスタイルが明らかになった瞬間、「負け」確定なんであります。
結論を先に言ってしまえば、「スタイル」は決して変えてはいけない。「スタイル」とは変えるものではなく、「超える」ものであると言う真実なんであります。
もちろんトップレベルの戦いにおいてのお話ではありますが、トップレベルでたとえ「スタイル」を変えて勝つことができたとしても、これは一時的なこと。ずっと勝ち続けることはできない。それは、戦う相手が、変えた「スタイル」を常に超えてくるからに他ならないからであります。
すなわち「スタイル」とは攻撃のパターン。この相手の攻撃のパターンを「予測」し、また相手の「予測」をいかに外すか、これがすべてなんであります。
そこでツォンガとフェデラーであります。
ツォンガのスタイルとは、スピード。このスピードと言う「スタイル」が、今回の対フェデラー戦で磨きがかかった。それは、両手バックハンドのクロスのスピード。とにもかくにも、これが強烈なんであります。
実は、フェデラーこそこの相手のバックハンドクロスボールを「逆襲」する名人なんであります。フェデラーがジョコビッチと相性が良いのも、ジョコビッチ得意の両手バックハンドクロスを、フェデラーは絶妙のタイミングでダウンザラインのストレートでエースをとってしまうのであります。
これが、ツォンガ戦、ツォンガのクロスにラケットを合わせることさえできずにエースを食らう。いつもより明らかにツォンガはスピードを変えていたのであります。
これを「スタイル」を超えると言うのであります。つまり、「予測」していてもそれを超えると対応できないと言うこと。
しかし、これもジョコビッチには通用しなかった。続く準決勝では、同様に両手のバックハンドクロスに磨きをかけてすでに世界ランク1位のジョコビッチにとって、このスピードは「予測」の範囲内。
まことに、トップレベルの戦いとは、かように熾烈を極めるのであります。 KAI
夢と希望と勇気
なでしこの国民栄誉賞の受賞に対する、王貞治のコメントであります。
なんと素敵なんでありましょうか。それは、夢と希望でもなく、勇気と希望でもなく、夢と希望と勇気。まことにKAIが子どものころから尊敬してやまない、ワンちゃんこと、王貞治の言葉と、ただただ感服するのであります。
まるで、この書き出しにふさわしくない、話題でありますが、これは、ちょうど2カ月前のことでありました。
この怒りのエネルギーは、もちろん鳩山だけではない。直前まで「賛成票」を投じようとしていた議員も、またこれを注視していた国民もと、すべての怒りが「マグマ」となって、この「ウソつき」に天誅を下すのであります。
(致命的失敗)
そのわけが、6月5日二人の間で、電話でこんなやりとりがあったとか、なかったとか。
今回は、ほんとすいません。
あのままなら間違いなく党が分裂して、自公政権に逆戻りでした。
でですねえ、このまま私が辞めて、あとをついで党勢を回復できるだけの人物が、私はどうしても思い浮かばないんですが、どうですかね。
思いついたんですが、あの小泉さんの「郵政解散」にならって「脱原発解散」に持っていくというのは、どうですか。
いえね、私は考えているんですが、薬害エイズの厚生省のように、これから経産省を抵抗勢力にしたてあげるんですよ。このいいアイデアがあるんです。
国民は、間違いなく圧倒的に「脱原発」支持にまわって、選挙で勝てれば、これからあと4年、もう一回党を立て直すチャンスになるんです。
このまま私がやめても、次の人もこの支持率ではそう長くはもたせられない。そう思うんですがねえ?
すこし落としどころを考えますんで、しばらく待ってもらえませんか、え?、鳩山さん?
「脱原発解散」と言い出すためには、強力な「抵抗勢力」がいる。当初目論んだ経産省も、なぜか従順で、反旗を翻すそぶりさえない。再生可能エネルギー法案も、否決される雲行きにはなりそうにもない。
特例公債法案が否決されても、まさか「脱原発解散」とは、いかないよね。
そうなんであります。
いまや、落としどころが、すっかりなくなってしまったのであります。
ところがどっこい。これ、もっけのさいわいとばかりに、9月以降もと、続投宣言。
またしても、鳩山、ペテンにかけられてしまった。
もうこれは、ただではすまないのであります。
と言うお話は、あくまで想像でありますが、いよいよ8月に突入。さてこれからどうなっていくのか。
やはり、この人しかいないようであります。
民主党の小沢一郎元代表が、8月31日の会期末までに衆院に内閣不信任決議案を提出する意向を固めたことが2日分かった。複数の小沢氏周辺が明らかにした。同一国会に同一議案を再提出できない「一事不再議」の慣例があり、自民、公明両党が再提出に慎重なため、衆院会派「民主党・無所属クラブ」による提出を目指す。党執行部が発議に難色を示したならば、小沢氏は新党・新会派結成を視野に賛同者を募る構えだ。
周辺によると、小沢氏は8月中旬までは岡田克也幹事長ら党執行部による菅直人首相退陣を促す動きを見守る構え。それでも首相が退陣を拒めば、小沢氏自らが党執行部に不信任案提出を促す考えだという。
党執行部が提出に難色を示した場合、不信任案の発議に必要な50人以上の賛同者を集めて提出に踏み切る方針。衆院事務局は慣例を理由に会派代表の民主党幹事長の承認が得られなければ受理しない公算が大きいが、その場合は新党・新会派を結成して不信任案を提出する算段だとされる。
(堪忍袋の緒が切れた?小沢氏、内閣不信任案提出の意向)
鳩山由紀夫前首相は2日昼、国会近くのそば屋で弟の鳩山邦夫元総務相(無所属)と向かい合った。
鳩山、小沢両氏は不信任案採決後、微妙な距離が生じたが、今はすっかり修復した。小沢氏は鳩山グループを「同盟軍」と呼ぶ。
「民主党と自民党の両執行部は菅、小沢、鳩山切りをしようとしているぞ」
邦夫氏がこう警告すると、由紀夫氏は何食わぬ顔でこう打ち明けた。
「次の首相には小沢さんと『反増税路線』の人物を担ぐつもりだよ」
その視線の先には民主、自民両党の反主流勢力の結集があるのか。邦夫氏はいろいろと水を向けたが、由紀夫氏はそれ以上は口をつぐんだ。
(小沢氏、「本気度」全開「誰が真剣に菅降ろしをやるのか」 仙谷氏加勢でなるか統一戦線)
もちろん、もうよもや騙されるものはいないはずでありますが、絶対ありえないのは自発的辞任でありますから、これは不信任案によるしかないのであります。
怒りの「マグマ」。
党執行部の抵抗とは無関係に、「マグマ」が不信任案となって噴出してくるのであります。
これに、首相が辞任で矛を収めるはずもなく、いまやなんのあてもないやぶれかぶれ「脱原発解散」一直線となるのであります。
かくして、民主が割れ、場合によって自民も、割れる。政界再編であります。
増税を前面に押し出さなければ自民が割れることはないのでありますが、これは微妙ではあります。
そして選挙結果で勝利するのは、増税反対を打ち出した党。
アンケートでは、復興には増税もやむなしとは答えるものの、本音では増税反対なんであります。
小沢、みんな、自民一部が大きく勢力を伸ばして、連立。
これに衆議院にくらがえした舛添が加わって、結局首相は舛添。
ま、こんなところであります。
で、あの人はどうなったかって?赤っ恥もいいとこ、前代未聞、現役首相の落選だったそうであります。 KAI