August 26, 2012

サルでもできるITビジネス(その2)

さて、ちまたウワサの、サルあい(ITの略だがね)教室その2であります。

まずは、お話のイントロが、うまい具合に見つかりましたと言う、お話であります。

いつも華やかなイメージがあるテレビマン。でも、テレビマンは孤独を感じやすい職業です。なぜ孤独を感じるのでしょうか?それは、視聴率という切り口から知ることができます。今回は、テレビマンが孤独を感じてしまう理由を紹介します。

■テレビマンは孤独
番組はヒットしているし、視聴率もいい数字が出ている。

それなのに、なぜか心は孤独なのがテレビマンです。どこかに不安な気持ちが残っていて、いつも自分の仕事の意味を探し求めています。そばにいる人に、

「いい番組を作ったね。面白かったよ」

と、言葉に出して褒めてほしいと思っているのです。
テレビマンは孤独だった!?視聴率争いの先


これは、BLOGOS経由で読ませていただいた記事であります。

実は、ITビジネスと、このテレビビジネスとの間には、きわめてよく似た関係があるのであります。

と言いますか、テレビビジネスとは、ITビジネスの「原型」となる、そう言うビジネスであったのでありますが、このご説明をこのシリーズの後半にして、まずは冒頭引用の記事であります。

なぜ「テレビマン」は孤独を感じるのか?

それは、真の「顧客」を相手に、「ビジネス」ができていないからであります。

テレビビジネスの、真の「顧客」とは、もちろん「視聴者」であります。

しかし、テレビビジネスの「ビジネスモデル」的には、「顧客」とは、「視聴者」とはまったくもって関係なく、広告のスポンサーであります。

この矛盾が、「テレビマン」の「孤独」を生み出す、その「真因」と言えるのでありますが、これについては、このKAIのレポートをお読みいただきたいのであります。

このテーマで言い残したことがあります。それは、テレビ局にとって、放送と通信では、お客様が違うってことです。

番組枠をスポンサーに販売すると言う機能単価モデルでは、テレビ局にとって、お客様とはスポンサー企業です。視聴者は、サシミのツマならぬ、視聴率と言うパフォーマンスを保証する、いわばサーバント、召使いです。このことを主人であるテレビ局があからさまに言うはずもなく、視聴者はカミサマであるかのように祭り上げられる、オメデタイ存在以外なにものでもありません。
放送と通信とビジネスモデル(3)


今回のテーマの、もともとは、「ビジネス」であります。

いかなるテーマであろうとも、これは趣味でもなければボランティアでも遊びでもない、そう言う「ビジネス」であります。

これを、くどいほど繰り返す必要があると思っているのが、実は「ITビジネス」の本質なんであります。

すなわち、お客様が誰か、そのお客様に何を買っていただいているのか、このたった二つの、ビジネスの基本中の基本が、もっともないがしろにされているのが、「ITビジネス}であると言うわけであります。

そこで、「サルあい」シリーズ第一弾は、「ITビジネス」とは誰のためのビジネスなのか、これを徹底研究するのであります。

つまり、「ITビジネス」の「顧客」とは誰か?

例えば、ラーメン店を開業しようと思うとしましょう。

当然、ラーメンを食べに来てくれる人がどんな人たちであるのか、これを想像することから、このビジネスはスタートするはずであります。

大昔の、と言っても2、30年前のITビジネスと言えば、パソコンのパッケージソフトくらいしかありませんでした。ですからこのパッケージを誰に使ってもらうのか、すなわち「顧客」をイメージしてパッケージソフトを開発し、販売していたのであります。

この時代、これに忘れてはならないのがパソコン通信と、ゲーム専用機ビジネスであります。

言ってしまえば、これだけしかなかったのであります。

もちろん、これ以外に銀行や証券取引所、企業向けのシステム開発や、ハードウェアと一体となったマイコン向け開発などもあるにはあるのですが、すでに前回申しあげましたとおり、すべて人月商売であり、これをITビジネスとは決して呼ばないのであります。

こう考えると、初期のITビジネスの「顧客」とは誰であったか、きわめてクリアに見えてくるのであります。

それは、パッケージソフトやゲーム機を直接買った「ユーザー」=「顧客」であるわけであります。

あるいは、パソコン通信のように運営会社の会員となって毎月使用料を支払っていた「ユーザー」=「顧客」であったのであります。

ひるがえって、現在の状況を眺めてみれば、これが様変わりしてしまっていることに、ある意味驚くべきことであります。

すなわち、Googleやtwitter、facebookといったことごとくのITサービスが、「無料」のサービスであり、単純に「ユーザー」=「顧客」と言う図式がなりたたなくなってしまっているのであります。

しかし、これこそが、冒頭の、テレビビジネスとは、ITビジネスの「原型」、と言うご説明の意味であったのであります。

現在、ほとんどのITサービスが、このテレビビジネスと同様、無料のサービスであり、売上となる「顧客」は、「ユーザー」とはまったく別の存在である、広告のスポンサーとなっているのであります。

これは、ある意味、テレビビジネスでは、ビジネスモデル的にたった1種類であったものが、現在のITサービスはテレビビジネスと同じビジネスモデルがサービスの種類の数があるだけあまた存在する事態となっていると、こうみなすことができるのであります。

つまり、こう考える必要があるってことであります。

これからITビジネス(ITサービス)を始めようって考えるならば、誰がお金を出してくれるのか、すなわち、これが「顧客」でありますが、まずもってはじめにこれを考えなさい、ってことであります。

そうではなく、まずは「ユーザー」を集めることに集中して、そのあと「マネタイズ」を考えなさい、って言うのが、いまのMBA流スタートアップの方法でありますが、「サルあい」教室、これに真っ向から挑戦するのであります。

だって、そうでしょう?

世の中、いったい誰が、お金をどうして稼ぐか考えないビジネスなんて、やると言うのでしょうか。確かに、彼らは言う。一定数以上の「ユーザー」さえ集めれば、いくらでもこれをお金にする方法はある。例えばバイアウトとか。

KAIは、もっともこれを「軽蔑」するのであります。

自分の産んだ子どもを、お金を目的に他人に売り渡すなど、と一緒であります。もっともITビジネスにあるまじきビジネスであり、ITを我欲に利用するなどと言う、最低にして最悪の人種であり、「人月」商売以上にケモノ道を歩いて地獄に落ちろと言いたい。

いえ、決してバイアウト自体を否定するわけではない。ただ単に、バイアウト自体が「目的」となっている人間を、KAIは激しく憎むのであります。

と、正気に戻って、ここで以下の、KAIが昔書いたエントリーをお読みいただきたいのであります。

このモデルではP(売上単価)が小数点になっていて、しかも消費者から企業に直接支払われるわけではなく、実際は、消費者からスポンサーに何らかの代金として支払ったお金の一部が、スポンサー側で集約され、最終的に企業側に支払われると言う流れになっています。これを、単価が小数点であることがそもそもの本質で、広告と言うビジネスモデルが、この小数点の単価をスポンサーによって整数化(量子化)するビジネスモデルであると解釈することもできます(KAI式広告論)。
モデル指向はなぜ必要か(4)


ここで言っていることは、広告ビジネスであっても、「ユーザー」=「顧客」と考えることが可能になるってことであります。

最終的に、「ユーザー」がお金を出す「顧客」であるならば、この「ユーザー」のためのサービスを考えることは、その「ビジネスモデル」的に理にかなったこととなるのであります。

テレビビジネスについて言っても、この考え(量子広告論)でいけば、テレビ広告のスポンサーそれ自体が、視聴者からの巨大集金マシーンであると考えると、「視聴者」=「顧客」と考えても何の不思議でもなんでもなく、冒頭の引用の「テレビマン」の「孤独」も、たちどころに解決されるのであります。

そして、これが、「サルあい」教室、本日の重要なる「テクスト」となるのであります。

すなわち、いまの一見「無料」のITサービスとは、実は「有料」、といっても限りなく小さい金額の、サービスとする「ビジネスモデル」だったのであります。

逆に言えば、テレビなりITと言う「仕掛け」が、こういった「ビジネスモデル」を可能にせしめたと言うことだったのであります。

かように考えますならば、「サルあい」教室的ITビジネスとは、テレビの視聴者、そのものこそ、もっとも重要な「顧客」であり「ユーザー」となる、つまりはそう言うことだったんであります。

次回は、では、このテレビの「視聴者」と言う「顧客」に、いったい「何」を売るのか、これをご教授するのであります。本日の講義は、これにてお仕舞い。 KAI

投稿者 kai : 08:00 PM | トラックバック

August 25, 2012

「電気は余っとるえ〜」って言う「バカ」

昨年は、「バカ」首相と「バカ」国民に、国が潰される恐怖に立ち向かうために、この「バカ」を研究してみたのでありますが、今回はその実証研究編の続きであります。

この夏、なんとか停電もなく乗り切れたことに対して、「電気は足りていた」との言明がメディアを含めて散見するのであります。

まったくもって怒り心頭に発するわけであります。

歴代の経営者や国の責任はともかく、停電を回避するため昼夜問わず必死で電力供給に尽力する現場の方々のご苦労に感謝こそすれ、それを当然であるがごとく、「電気は足りていた」などと言う者には、天誅をもって断ずる以外にはないのであります。

そもそも、この「バカ」は「思考」することがないから「バカ」であるので致し方ないといえば、致し方ないのでありますが、そう言ってしまっては、身も蓋もないので、もう少し、これをご説明するのであります。

この「バカ」が一番理解できていないのが、世の中には「バックアップ」と言うものが必要であると言う、厳然たる歴史上の「ルール」であります。

例えば、「首相」の「バックアップ」とは、「副首相」であります。

この夏「首相」が重病で入院して、「副首相」が職務を代行した。無事大過なく乗り切った後、「首相」がいなくても「副首相」で「十分」と、「バカ」は言うわけであります。

例えば、東証の取引システム。

この夏、「メイン」のシステムがダウンして、急遽「バックアップ」システムだけで、乗り切った。「メイン」のシステムっていらないんとちゃう、と「バカ」は言うのであります。

「電気は足りていた」のではなく、「電気が足りる」ように「設計」してあっただけであります。

今回の全原発停止を想定していたかどうかは別にして、万一の場合にも電力供給に支障ないように、常に「バックアップ」の設備を用意するのは、公共サービスを実施する事業者にとって、当然も当然、常識中の常識なんであります。

しかし、「バックアップ」のさらにこの「バックアップ」は、準備されてはいないのであります。

もし、老朽化した火力発電所が一斉にダウンすれば、真冬の大停電も決して起こりえない悪夢ではないのであります。

この時、これが「バカ」が引き起こした、とはもちろん言わない。

言わないけれど、やっぱり、「バカは死ななきゃ直らない」とだけは、KAIは言いたい。 KAI

August 24, 2012

営業ほど素敵な商売はない−−There's No Business Like Sales Business

営業マンの「メンタリティ」を読み解く、秀逸な記事を、偶然2つ見つけましたので、これをレポートするのであります。

最初は、DIAMOND onlineのこちらの記事であります。

 彼の説によれば、一定の地域差は明らかにあるとはいえ、いかなる文化においても営業担当者というものは本質的に同じだという。彼いわく「営業担当者は『幸せな敗北者』(happy loser)である」。つまり、断られることを心の底では楽しみにしており、断られる機会が得られる仕事を探し求めている人間だというのである。このことが営業担当者を動機づける方法や管理する方法に関係しているのは言うまでもない。
営業担当者のアーキタイプを分析する、「幸せな敗北者」の心理学、G.クロテール・ラパイユ、2012年8月21日


心理学者ラパイユは、人間の深層心理のパターンである「アーキタイプ」のうち、営業担当者のそれを「幸せな敗北者」と名づけて、次のように解説してみせるのであります。

 自覚しているか否かにかかわらず、営業担当者というのはギャンブル中毒者のようにスリルを追い求めています。ギャンブル中毒者は自分が十中八九負けるであろうことを、ある程度自覚していますが、万に一つしかない勝つ可能性に興奮を覚えます。営業担当者の気質もこれと同じです。負けることのプロなのです。営業担当者というものは、まあ九〇%以上は断られるものです。
(Diamond Harvard Business Review、2006/10、p.142)


なるほど、「ギャンブル中毒者」でありますか。

確かにわからなくもないのでありますが、いまひとつ「納得感」がないんだよねと、2つ目の記事を読み進めるうちに、なるほどそう言うことでありましたかと、すこぶる腑に落ちたのであります。なーんて、一人で合点いってないで、ご説明するのであります。

2つ目の記事とは、こちらであります。

 「超・行動」とは、「点」の集積によっていきなり「面」にしていく行動を指す。「点」を「線」につなげ、「線」を「面」に展開する行動ではない。

 キーワードは「大量」と「連続」である。大量で、なおかつ連続的な行動によって、複利効果とリスク分散の両方を実現し、目標を最低でも達成させる。このような営業スタイルを「超・行動」と定義する。

 「面」で捉えることが重要だ。世の中にある多くの営業に関する書籍やセミナーは、営業の「点」にフォーカスしている場合が多い。もしくは「線」だ。

 営業を「点」で捉えると、どうしても一つひとつの顧客、商談に注目してしまう。どのように相手のニーズを引き出すのか、どのように説得してクロージングするのか、ということだ。「点」にフォーカスしすぎると、全体像が見えなくなっていく。だから目標予算を見失ってしまうのである。「線」というのは営業プロセスのことである。プロセスを正しく管理することで機会損失を減らし成約率を高める考え方だ。

 「点」で考えることも「線」で考えることも重要だ。しかし、この思考で営業しているとどうしても考えすぎ、悩みすぎの状態から抜け出せなくなる。

 なぜなら、これは打率を上げる思考パターンだからだ。野球選手が打率を上げたいのであれば、極端な話、バッターボックスに立たなければいい。打てる投手のときにだけ、もしくは自分の調子がいいときにだけ打席に立つことができれば打率を上げられる。

 よく考えてほしい。営業に求められているのは打率ではなく、目標ノルマを達成させることだ。打率にこだわりすぎると、悩みすぎてお客様のところへ行けなくなる。営業にとって最も重要な「お客様との関係構築のための活動」が極端に減ってくるのである。

 「お客様との関係構築のための活動」は、いわば種を撒いて毎日のように水を与える活動だ。なかなか花は咲かないだろう。実もならないだろう。それでも、種を撒かない限り、水をまめに与え続けない限り、十分な収穫は期待できない。

 自分で種を撒き、そして水をやり続ける営業パーソンが今、極端に少なくなった。すでに咲いている花を探したり、誰かに大きな実がなっている場所を教えてもらいたいと考えたりして、社内にいて待ち続けてばかりいる。

 それで期待したほど収穫ができないと、「逆立ちしても到達しないような目標予算を設定するのがおかしい」「ホームページからの問い合わせが少ないから仕方がない」と他責を始める。そしてモチベーションという言葉を誤用する。
できる人ほど「モチベーション」を口にしない、発想を変えれば淡々と結果を出せる、横山信弘


少々長い引用になりましたが、ポイントは、2つ。

大量で、なおかつ連続的な行動によって、複利効果とリスク分散の両方を実現し、目標を最低でも達成させる。


こちらと、あとこちら。

「点」で考えることも「線」で考えることも重要だ。しかし、この思考で営業しているとどうしても考えすぎ、悩みすぎの状態から抜け出せなくなる。


「大量」と「連続」とは、すなわち「確率」であります。

「確率論」で営業と言うものを考えなさい、と言うこと。

「確率論」ではなく、一個一個の案件にとらわれていては、「悩みすぎの状態から抜け出せなくなる」のであると。これが「確率論」なら、1件1件の「お断り」が普通になってこれに「ストレス」を感じる必要もなくなるってことであります。

なるほど、この「気質」こそ、最初の記事で言うところであります「ギャンブル中毒者」に、一脈通じると言うわけであります。

もちろん、この「ギャンブル中毒者」と言うのは、ネガティブなイメージを想起させ、少々語弊がある言葉ではありますが、これを、「負ける」とか「失敗する」とか、あるいは「断られる」、「ノーと言われる」ことに対して、「ストレス」を感じない「人種」と捉えると、なるほどなかなか滋味深いものがあるのであります。

そして、この話で思い出すのは、昔知人にいたある営業マンが繰り出す武勇伝の数々であります。

彼は、某世界大手コピー機メーカーの支店長として、全国一に輝く実績を持つやり手の営業マンでありましたが、彼にとってことごとくが「ゲーム」であります。

顧客でもなんでもないKAIに対してさえ、あらゆる会話はこの「ゲーム」の一環であり、「ほら、僕が知らないふりをすると、KAIくんは得意げに教えてくれるでしょう」、「相手に対しては、決して知ったかぶりをしないこと、それだと何にも教えてくれないよ」。

販売競争で全国一になったときも、いかにこの「ゲーム」を戦えばいいか、まるで「狩り」でもするかのようにこの「ゲーム」を楽しんでいたのであります。

こういった事例をみるにつけ、なるほど、ラパイユの「アーキタイプ」もいいけれど、むしろ「人種」と言う言葉のほうが、KAIにはしっくりくるのであります。

とは言え、「人種」などと言ってしまうと、先天的なものにきこえてしまうのでありますが、事実はそうではないと、KAIは考えているのであります。

それは、「ストレス」を感じないとか、「ゲーム」を楽しむ、あるいは「断られる」ことを前向きにとらえるなどといった「人種」は、もって生まれた「性格」でもなんでもなく、むしろ「経験」が生み出す典型的「気質」であると、つまりはそう言うことなんであります。

そして、その「経験」と言うのが、横山信弘氏の提唱する、「大量」と「連続」、すなわち「確率論」であります。

つまり、「大量」の人とのコンタクトであります。非常に沢山の人々に電話を掛ける、面会するといった体験が、こういった「気質」を生み出すと考えるのであります。

「量が質を生む」とは、まさにこのことであります。

事実、KAI自身も、このビジネスを始めた当初、見知らぬ通販会社の担当者にたった1本の電話をかけることさえ「ストレス」の塊であったものが、十数年の間の数千人と言う顧客との面会の結果、見知らぬ人との出会いこそもっとも楽しみの一つと化しているのであります。

そして、その体験の中から、一度お会いしてお話をすれば、その人物がいかなる人であるのか、その「におい」を瞬時に嗅ぎ分けられるようになっているのであります。

これは、何も、電話や面会といったコンタクトだけに限った話ではないのであります。

実は、「メール」によるコンタクトにおいてもこれは言えるのであります。

いま、私たちの会社では1日数百通のメールがとびかっているのでありますが、これは社内だけではなく、私たちのサービスをご利用いただくユーザーとの間も、すべてこのメールで行われているのであります。

この結果、これまで電話で仕事することに慣れていて電話にこだわっていた人でも、いつのまにかメールでのコミュニケーションが普通になってしまう現象を、何度も目撃することができるのであります。

ですから、外部から送られてくる営業メールも、私たちの目からすれば、これがメールによるコミュニケーションに慣れた人が送ったものかどうか、瞬時に判別つくと言うわけであります。

と言うわけで、今回のお話はこれにてお仕舞いでありますが、最後にひとこと。

いま不況で、不本意にも「営業職」へ配置転換となったり、学校を出て「営業職」でしか採用されないなど、いやいや「営業」をやっている人がいるかもしれない。

そんな方々への応援メッセージだと思って、ぜひこのエントリーをお読みいただければと思うのであります。

「量」をこなせば、いつかかならず目の前の「壁」を超えられるんだと。 KAI

August 17, 2012

それはダブルスタンダードとは言わない

佐藤優くん、もう少し頭がいい人物かと思っていたけれど、この程度では、ほんと日本の外務省(出身者を含めて)のお頭は大丈夫かいなと、KAIはほんと心配になるのであります。

 領土問題に関して、

 1.双方が領土問題が存在していないとする場合、領土問題は存在しない、

 2.双方が領土問題が存在するとしている場合、領土問題は存在する(北方領土に関しては、日露両国が領土問題の存在を認めている)

 3.一方が領土問題は存在するとし、他方が領土問題は存在しないとする場合、客観的に見て領土問題は存在する。

という3つのケースが存在する。竹島問題に関しては3.に該当する。日本は領土問題が存在すると主張し、韓国は領土問題が存在しないと主張している現状を、第三者が客観的に見る場合、領土問題が存在することになる。それだから、ICJ(国際司法裁判所)への提訴を含む外交交渉を日韓両国が行うべきである。

 このような日本の主張は、国際的に説得力を持つ。

 尖閣問題に関し、日本は領土問題が存在しないと主張し、中国と台湾は領土問題が存在すると主張している。客観的に見れば、3.のケースに相当する。国際社会から、日本が竹島問題と尖閣問題でダブルスタンダード(二重基準)を用いていると認識され、日本の誠実さが疑われる危険が存在する。この危険を回避するための外交戦略を外務省が考えているとは思えない。
【佐藤優の眼光紙背】尖閣問題をめぐり国際世論を日本に引き寄せる外交戦略を政治主導で構築せよ


佐藤優くんにお訊きしますが、なんですか、日本がたとえば一方的に「カラフト」に領土問題が存在すると言い出したら、これは「領土問題は存在する」となるのでありますか?

え?そんなことないでしょう?

こういった問題を、「論理的」に思考しているかのように勘違いする、今回のこれは典型であります。

こんなこと、「ダブルスタンダード」でも、なんでもないのであります。

おそらく、佐藤優くんの「論理思考」には、時間概念が欠けているのでありましょうが、これを理解できるように、「乗っ取り」問題に例えてご説明するのであります。

自分が所有するビルが、暴力団によって「乗っ取り」されてしまっている(つまり既成事実である)のが、竹島問題。

自分が所有するビルが、暴力団によって「乗っ取り」されようとしている(つまり防衛事実である)のが、尖閣問題であります。

確かに両者、「乗っ取り」問題、すなわち領土問題があるかのように思えるのでありますが、まったくそうではない。

それは、前者はこの解決のために、裁判所に強制立ち退き命令を出してもらおうとして、訴訟を起こそうと言うことであり、これを「立ち退き」訴訟問題と呼ぶことにするとして、では後者は、と言うと、どうなるか。

そもそもにおいて、後者には「乗っ取り」と言う事実そのものが存在しないのであります。

もともとからして自分はこのビルに住んでいる。暴力団がかつて住んでいてこちらがこれを「乗っ取った」事実そのものもないのであります。

これに対して、暴力団が、自分のビルが乗っ取られているので「立ち退き」訴訟をもし起こそうとしても、もちろんこちら側からすれば「立ち退き」訴訟問題など「存在しない」と言うし、裁判所も暴力団の申し立てを受け付けることはありえないのであります。(訴訟に巻き込まれないようにするための訴訟問題は「存在しない」と言うこと)

では、暴力団が竹島ビルの訴訟を受ける立場から考えてみるとどうなるか。

竹島ビルは、もともと自分たちのものだから、「乗っ取り」でもなんでもない。当然訴訟となる問題も一切存在しないと主張する。しかし、いくら「乗っ取り」ではないと主張しても、「乗っ取った」と言う事実は存在するから、「立ち退き」訴訟問題など「存在しない」といくら主張したところで、「存在する」のであります。

すなわち、この竹島ビルの「存在しない」と、尖閣ビルの「存在しない」には、天と地ほどの開きがあるのであります。

先に、佐藤優くんには時間概念が欠けていると書いたのは、まさにこのことであります。

「領土」とは、未来永劫に「領土」ではないのであります。

時間軸上のどの時点で「領土」であるのか、これがきわめて重要なんであります。

これを無視して「領土問題」のあるなしを言っても、まったくもって「無意味」としか言いようがない。

そして、竹島も、尖閣も、時間軸上、日本が最も早く国際法上の「領土」とし、いまもって他国の「領土」として奪われた事実はないのであります。(敗戦処理の間を除いて)

この意味において、両者とも、「領土問題」は「存在しない」のであります。

一方において、竹島は、近い過去のある時点で「他国」に「占拠」されてしまった。

これを実力行使ではなく平和的に解決する方法を日本は選択してきたのでありますが、この事実でもって、竹島においては、他国による「占拠」問題が「存在する」となるのであります。

これがしかし、「他国」の立場からはまったく逆に見えると言う、おおいなる「勘違い」をするのが、佐藤優くんの陥った「論理思考」における「瑕疵」であります。

これを具体的に書くと、こうなるのであります。

■竹島問題
<日本>:<国際法上領土問題:存在しない><領土占拠問題:存在する>
<韓国>:<国際法上領土問題:存在しない><領土占拠問題:存在しない>

■尖閣問題
<日本>:<国際法上領土問題:存在しない><領土占拠問題:存在しない>
<中国台湾>:<国際法上領土問題:存在する><領土占拠問題:存在する>


これをご覧いただければ、竹島問題における日本の「立場」と、尖閣問題における中国台湾の「立場」は、まったくもって似て非なるものであることがお分かりいただけるのであります。

であるからして、これは「ダブルスタンダード」でもなんでもない。

つまりは、そう言うことであります。

ここで、竹島問題における韓国の「立場」と、尖閣問題における日本の「立場」が同じではないかと、変な言いがかりをつける方が現れないとも限らないので、少々これに補足しておくのであります。

この「立場」のうち、韓国の「領土占拠問題」が「存在しない」というのは「ウソ」であります。

事実として過去に占拠が行われて、これが自国の「領土」であるから「占拠」ではないと言っているだけで、過去に「占拠」していまもって「占拠」しつづけている「事実」に変わりはないのであります。

これに対して、尖閣は、日本が「占拠」を開始した「事実」はない、過去「領土」となったずっとその前からそこに住んでいたのであり、住み続けていたものであって、「占拠」などする必要すらなかったのであります。

いまこれを、中国台湾が「占拠」しようとしている。

竹島の「占拠」とあわせて、この厳然たる事実こそ、広く世界に知らしめていく、日本外交史上まれにみる絶好の「チャンス」がいま訪れようとしているのであります。 KAI

投稿者 kai : 04:00 AM | トラックバック

August 14, 2012

サルでもできるITビジネス(その1)

お盆でガラガラの道を車で走りながら、思いついたタイトルが、これ。

いえね、中身はこれから考えることにして、まずはこのウチダ先生の文章をお読みいただきたいのであります。

わかるのは消費税がいずれ10%に上がるということだけである。
貧しい人ほど税負担が重くなるいわゆる「逆進性」についての制度的な手当ては具体的にならない。
その一方で、生き延びるためには「選択と集中」が不可避であると主張する経営者の方々は、こんな高コストでは国際競争に勝てないということで、法人税の引き下げ、人件費の引き下げ、電気料金を含む製造コストの引き下げを繰り返し要求している。
(中略)
自社の経営がうまくゆかない要因をもっぱら外部の無理解と非協力に求める経営者がわが国ではいつのまにかデフォルトになったようである。
そのデフォルトに基づいて、グローバル企業が国内にとどまってくださるように、法人税を下げ、賃金を下げ、公害規制を緩和し、原発を稼働させ、インフラを整備すべしというのが当今の「リアリスト」たちの言い分である。
市場からの撤収


なにかと言えば、「資本家」が悪い、「市場」が悪い、を繰り返すウチダくんには、いまだマルケイの亡霊を見せつけられるかのようで、なんだか目眩がしてくると思ったら、池尾和人先生も同じようなことを書いておられるのは、これは決して偶然の一致ではないのであります。

しかし、ケインズのマシン(政策)よりもフィロソフィー(思考)を受け継ぐべきとして、現代日本の直面する問題に関して論じている部分は、「高橋さん、いつからそんなレトロなマル経のドグマに囚われちゃったの?」という感じで、全く賛同できない(第1章と第6章)。

雇用の2極化が進行しており、きわめて劣悪な雇用条件に置かれている層が増大しているというのは確かな話だが、その原因が「労働者を買い叩き、雇用者を搾り取ることで利潤を確保しようとする資本の論理」にあるというのは、議論としてあまりに「お手軽」にすぎませんか。高橋さんにとっては、グローバル化は口実だったり、タテマエに過ぎないようだけれども、身の回りにメイド・イン・チャイナや、メイド・イン・ベトナムあるいはカンボジアと記された消費財があふれているという現実はみなくていいのだろうか。

新興国から労働集約的な財を輸入することは、間接的に労働力を輸入しているに等しく、それらの国々との間で実質賃金の均等化(日本からみると引き下げ)の圧力が働くことになる。あるいは、情報技術革新の進展は、これまで中間層が従事していた事務処理的な仕事をどんどんと消滅させていっている。本書には「新興国との競合」、「IT化」といった表現は一度も登場しないけれども、そうしたことに全くふれずに現代の日本が直面する問題に処方箋が書けるとは、私には考えがたいことである。
本当のケインズは、・・・


ウチダ先生のように、めいっぱい「新興国から労働集約的な財」や「IT化」の恩恵を受けながら財をなした人間までもが、この本質的価値を貶めるような言論を繰り返されるのであります。

「市場からの撤収」なるものも、わざわざいまこれを持ち出すまでもなく、大昔からずっと子育てに代表される、「市場」とは無縁の「相互扶助社会」なるものは、貨幣経済とともに立派に併存してきたのであります。

むしろこれに抗うように、団塊世代や日教組によって偏愛された「個人主義」と同義の戦後「民主主義」こそ、この「相互扶助社会」の価値を否定し破壊し続けてきた、張本人であると言うべきものであります。

いまさらこれを持ち出してきて、いいわけのように「資本」や「市場」を非難してみせても、なんの具体的問題解決にもならないことくらい、すこし頭を使えばわかろうと言うものでありますが、なぜかこの思考回路は働かない。

池尾和人先生の言うとおりであります。「現代の日本が直面する問題に処方箋が書ける」かどうかは、「間接的に労働力を輸入」していること、「IT化」が「事務処理的な仕事をどんどんと消滅させていっている」こと、と言う具体的社会的事実の認識なくして、これは不可能であり、端から議論を始めることすらできないのであります。

そこでであります。

この池尾和人先生ご指摘をヒントに、すこしこの問題について考察することにするのであります。

ここで重要なことは、「間接的な労働力の輸入」にしろ、「IT化による仕事の消滅」にしろ、共通するのは、「労働力」であります。

「労働力」とは、何か?

それは、簡単に申しあげますならば、人、であります。

これが、「輸入」されたり、あるいは、「消滅」していると言う、厳然たる事実が、いま私たちの前に、突きつけられているのであります。

実を言えば、この問題について、すでにここでちょうど2年前、レポートしていたのであります。

いままでのような、駅の改札口の自動化やETC導入による人員削減とこれは訳が違う。

証券ディーラーと言えば、きわめて高度なスキルを要求される知的労働者。そんな彼らがいとも簡単にお払い箱になる。

いよいよ、時代が大きく変わる。つまりはそう言うことであります。

コンピュータは、その誕生以来わずかな期間に、人間の役割を根本的に変えてきた。それは、常に脳を含めたハードウェアとしての役割からよりソフトウェアとしての役割へのシフトであります。

しかしそのソフトウェアさえ、メタプログラミングによって置き換えられようとしている。これこそが、証券ディーラーの大量解雇なのであります。

つまりこれから起きることがなにか、もう少し分かりやすく言えば、世の中のありとあらゆる仕事がコンピュータを操作してできる時代になればなるほど、別に人間が操作しなくてもいいんじゃない、コンピュータにやらせればって時代になっていくってことであります。

だって、コンピュータをコンピュータが操作するほうが絶対に速いし正確なのは、最初から自明なこと。とうとう人間は、Webサービスによって、この魔宮の扉を開いてしまったのであります。

オンラインでの教育しかり、オンラインゲームを思い通り操作するアプリなんて、なんでもありの時代になっていくのであります。

こんな時代に生きる、人が果たすべき役割とは何か。これこそがきわめて重要なテーマとなっていくのであります。
証券ディーラーの悲哀と悲鳴がこだまするのち週末テニス


「人」の、「輸入」すなわち「生成」と、「消滅」を司っているのは、コンピュータのソフトウェア、すなわち、「アプリケーション」であります。

ユニクロしかり、ニトリしかり、大量に安価な「人」を「生成」できるのも、この「アプリケーション」あってのことなのであります。

そして、一方で、この「証券ディーラー」のような「人」を、大量に「消滅」させる。

すべてが「アプリケーション」のなせる業であった。

まさに、ここにこそ、「現代の日本が直面する問題の処方箋」にむけた、おおいなるヒントが隠されているのであります。

それは、好き嫌いは別にしても、すべての人々がこの「アプリケーション」に関わることを、強く時代が「要請」していると言う厳然たる「事実」であります。

と言うわけで、ここでやっと、冒頭のタイトル「サルでもできるITビジネス」に、お話が繋がるのであります。

と言っても、「人月」商売は、ITビジネスとはなんら無関係なビジネスであることは、一番最初にお断りしておくのであります。見積もりに、「人月」であるとか「人日」なる語句が一字でもあるご商売をなさっているかたは、これがITビジネスとは真逆のビジネスであることに、もういいかげんお気づきいただきたいのであります。

しかし、ここはなんで「サル」なのか。

これは、「IT」なんて言うと決まってお高い商売と思う「世間」に対する「ギャグ」であります。

もちろん「ギャグ」ではありますけれども、(おまけに思いつきだけどね)真面目に、この「中身」を、これから考えるとするのであります。

え?これでお仕舞い?

そ、思いつきだからね。(と言うことで、シリーズへと続く) KAI

August 12, 2012

まるでトラック競技ではありませんか、これは(男子マラソン編)

さきほどから、男子マラソンを観戦するのでありますが、これはまるでマラソンとは異種なる競技を、いま目撃することになるのであります。

距離が読めない。


これに尽きるのであります。

しきりに、すべての選手が腕時計を見る。そうです、景色を含めた環境情報から、いま自分がどこにいるのか、常にマラソン選手はこれを把握し、自身のピッチ、ペースを調整することによって、ゴールを目指すことができるのであります。

普通は。

ところが、であります。トラックと化した、今回のコースは、これができない。

この結果、何が起こるか?

カオスであります。カオスとは、制御ができない状態を言うのであります。

これを制するものとは、自らを制するもの以外にはありえない。つまりはそう言うことであります。

さて、30キロ、先頭であります。

ケニヤ勢が、コース関係なくマイペースの、まったくもってつまらないレースになってしまった。

おそらくタイムは、2時間6分30秒前後と言う超つまらないタイムになるのであります。

てなわけで、裏番組のワイルド・スピード MEGA MAXに、チャネルを切り替えて、結果は閉会式のときのお楽しみ。 KAI

(追記)結果は、スティーブン・キプロティク(ウガンダ)2時間8分01秒。予想以上のスピードダウンでありました。

August 08, 2012

タイブレークと言うルール(超解説編)

グーグル先生のおかげで、タイブレークのルールを知りたいと言う方のアクセスが絶えません。

タイブレークと言うルール(2)


読み返すと、いまひとつわかりにくいかなと思いまして、今回はもう少しやさしい解説であります。

ゲームカウントが6-6になると、次の13番目のゲームは、タイブレークと言うルールでポイントをカウントします。

サービスは、順番通りのプレーヤー(Xさん)が行いますが、このセットの一番最初にサービスをしたプレーヤーがこの順番になるはずです。これはダブルスでもシングルスでも、同じです。

最初に7ポイント取った方が勝ちになりますが、相手のポイントより2ポイントリードして初めて勝ちになります。

まず、書き方の説明です。

(Xさん)F→F(Yさん)

これは、Xさんが左側のコートのフォアサイド(F)からサービスして(→)、Yさんが右側のコートのフォアサイドでリターンする意味になります。

  1. (Xさん)F→F(Yさん):タイブレーク最初のサービス

    Xさんがフォアサイドから1回だけサービスをして、すぐサービスをYさんに交替。

  2. (Xさん)B←B(Yさん):Yさんがバックサイドからサービス
  3. (Xさん)F←F(Yさん):Yさんがフォアサイドからサービス

    ここでサービスをXさんに交替。以降、バック、フォアと2本ずつサービス。

  4. (Xさん)B→B(Yさん)
  5. (Xさん)F→F(Yさん)

    サービスをYさんに交替。

  6. (Xさん)B←B(Yさん)

    6ポイントが終了すると、右と左のコートを交換します。

  7. (Yさん)F→F(Xさん)

    サービスをXさんに交替。

  8. (Yさん)B←B(Xさん)
  9. (Yさん)F←F(Xさん)

    サービスをYさんに交替。

  10. (Yさん)B→B(Xさん)
  11. (Yさん)F→F(Xさん)

    サービスをXさんに交替。

  12. (Yさん)B←B(Xさん)

    この時点で6-6となって、12ポイント(6の倍数)が終了すると、右と左のコートを交換します。

  13. (Xさん)F→F(Yさん)

    以降2ポイントリードすればその場でお仕舞い、このタイブレークを勝ったことになります。
    サービスをYさんに交替。

  14. (Xさん)B←B(Yさん)
  15. (Xさん)F←F(Yさん)

    サービスをXさんに交替。

  16. (Xさん)B→B(Yさん)
  17. (Xさん)F→F(Yさん)

    サービスをYさんに交替。

  18. (Xさん)B←B(Yさん)

    18ポイントが終了すると、右と左のコートを交換します。

  19. (Yさん)F→F(Xさん)

    サービスをXさんに交替。

  20. (Yさん)B←B(Xさん)
  21. (Yさん)F←F(Xさん)

    サービスをYさんに交替。
    ・・・以降この繰り返しです。


いかがでしょうか? KAI

August 07, 2012

一連の実証的事実について

いままでさんざん、ここで申しあげてきたことについて、このところのこの実証的事実を散見するのは、まことに慶賀に堪えないのでありまして、今回はこれをここにご紹介するのであります。

その一

福原が、団体戦準決勝、見事先鋒勝利であります。

4日前の女子卓球(シングルス)3位決定戦、石川佳純を破って、シンガポール選手として52年ぶりにメダルを獲得した、フェン・ティアンウェイを、福原は見事3-1でリベンジしたのであります。

これに勇気付けられた石川は、シングルス、ダブルスを打ち破って、銅メダル以上確定とのことであります。

この福原についてコメントしたのが、昨年11月。

たまたま観た今朝のNHKニュースに、あの卓球の福原が映っていた。これがまるで、別人だったのであります。

どう別人であったかと申し上げるならば、もうこれは間違いなく立派な大人の女の「アスリート」に成長していたのであります。

もう立派に大人だと言うのにいつまでもあどけなさが抜け切れない、いつも負けたときのひ弱い笑顔に、物足りなさをずっと感じてきたKAIにとって、テレビの中の福原は、表情だけではなく、身体全体から発するオーラが、世界一流の女子選手のそれであったのであります。
福原と錦織に何が起こったのか?、November 06, 2011


一人の「アスリート」の、その「脱皮」する瞬間に立ち会うことができると言うことは、まことに慶賀の至りなのであります。

その二

続いては、清武弘嗣であります。

 第9日の男子準々決勝でエジプトに3−0と快勝し、1968年メキシコ大会以来44年ぶりの4強入りを果たした日本は5日、マンチェスター市内での練習後、準決勝のメキシコ戦(7日午後5時=日本時間8日午前1時、ウェンブリー)が行われるロンドンへ移動。全3得点を演出したMF清武弘嗣(22)=ニュルンベルク=は、「男子も負けずに頑張りたい」と男女の五輪アベック金メダルを誓った。
清武、アベック金宣言!「手応えある」


ロンドンオリンピック、男子サッカー大躍進は、この清武の存在なくしては、なしえなかったと言っても過言ではないのであります。

目の前にディフェンス、その後ろにゴールキーパー。

高めのドリブルボールを左足でボレーシュート。と思いきや、そのままインサイドタッチでワンバウンドスイッチさせたボールを右足ボレーシュート。左コーナーへと思いきや一転右コーナーへの強烈シュートに、ディフェンス、キーパー、反応できない。

こんなシュート、見たことない。もちろんこんなサッカー、面白くないわけないのであります。

このボール捌きと風貌は、ロナウジーニョを彷彿させる。対韓国戦で絶妙のアシスト2本を決めた、清武弘嗣(きよたけひろし)であります。

やっと個人レベルで、欧南米の選手並みの技術を持ったプレーヤが現れた。
なぜいま清武弘嗣と小川淳司なのか?、August 23, 2011


こちらは、昨年の8月であります。

すでに歴史は、このときから駆動していたと言うことであります。

その三

そして、こちらはパナソニック、津賀一宏。

 パナソニックが31日発表した2012年4〜6月期の連結決算は売上高が6.0%減の1兆8144億円だったものの、リストラの効果で最終損益は128億円の黒字(前年同期は303億円の赤字)だった。四半期ベースでの黒字は10年10〜12月期以来、6期ぶり。ただ、欧州の需要低迷や新興国の成長鈍化、長引く円高が収益の重しになっており、13年3月期の業績予想は従来のまま据え置いた。
パナソニック、改革効果で最終益128億円 4〜6月期連結決算


こちらについては今年3月のレポート。

パナソニックは復活するのか?

この答えは、間違いなくYESであります。
(中略)
カルロス・ゴーン、竹中平蔵、津賀一宏に共通するのは、問題の本質を明確に理解していることであります。しかもこれを人にわかりやすく説明することができる。

この一点において、津賀一宏は、間違いなくパナソニックを再生させることができるのであります。
パナソニックは復活するのか?、March 29, 2012


まだまだ油断は禁物でありますけれども、その方向性に間違いはないのであります。

その四

さて、以下はあまり嬉しくない方の実証的事実であります。

女子柔道は、この影響が比較的少ないとはいえ、男女合わせて金メダルはせいぜい一個、残りのことごとくが銀メダルと銅メダルに終わると、KAIはいま、NHKの柔道中継を観戦しながら思うのでありますが、はてさて結果はいかなることになりますやら。 KAI
なぜ日本柔道は金メダルを取れなくなってしまったのか?、July 29, 2012


こちらは、直前のレポートとは言え、結果はこのレポートの通りとなったのであります。

はてさて、この「責任者」がいかなる「責任」をとるのか、見ものはこれからであります。

その五

そして最後は、日本銀行。

白川総裁以下「システム」側の「金融環境は日本は先進国で最も緩和的」であるとの主張を真っ向から否定するのが、この記事であります。

−−ただ星教授の論文では、各国・地域の中央銀行の総資産を比較して、やはり日銀の金融緩和が足りないと指摘しています。

:そうです。英イングランド銀行(BOE、中央銀行)などと比較して、日銀の金融緩和がいかに小さいかということが、このグラフから分かると思います。日銀は、今のうちにデフレ脱却のための金融緩和を徹底すべきなのは間違いありません。財政の方からインフレがくると、今度は人為的に歯止めのかけられないインフレになってしまいます。

 2012年2月の、一層の量的緩和に向かうかと思われた日銀の動き(「金融緩和の強化について」)には、かなり期待しました。しかし、その後のフォローアップが少なかったのと、相変わらず日銀は、こうした金融政策だけではダメだというネガティブな側面だけを強調しています。

 この時も、「目途」などと言わず「目標」とはっきり書けば良かったと思います。きちんと目標だと言って、やるだけのことはやると言った方がいい。
米カルフォルニア大学 星岳雄教授に聞く(上)、「ゾンビ」退治なくして経済成長なし


もちろんこのグラフの基準年、2007年1月時点で、日銀はすでに他の中央銀行にくらべて十分すぎる金融緩和を実施していたのかもしれない。

しかしながらであります。

いま日銀に問われているのは、「量的緩和」、すなわち「金融緩和の強化」であります。

このグラフは、これがまったく行われていないこと、つまり、日銀の「不誠実」、「無能力」を如実に示すものとなるのであります。

これに対する「反論」なるものを、一度KAIは聞いてみたいものであります。 KAI

August 05, 2012

まるでトラック競技ではありませんか、これは

女子マラソン、観戦中。

モナコグランプリを見ているかのようでありますが、これはあまりにもひどい。

のちほど、同じコースを何度も走らせる、まるでトラック競技であるかのような問題について、これにふれることといたしまして、まずはこの「モナコ問題」であります。

「モナコ問題」とは、「コーナー問題」であります。

「コーナー」が多ければ多いほど、「コーナー」の内側を死守することが勝敗を決することになるのであります。しかも、「コーナー」の外側はもちろんのこと、すべての選手にとって距離およびモーメント力により激しく体力を消耗するのであります。

しかし、なぜもって「マラソン」で、「コーナー」なのか?

おっと、そのうえ、なんと路面が、すべりやすいブロック舗装まで現れた!おい!いったいどうなってるんだ!

トリッキー、としか言いようがない。

案の定、トラック競技同様、巨大先頭集団が続いている。(競輪で最初集団を作って最後に勝負をかけるのと一緒)

この中間状況から予想されるのは、35キロ地点で、アフリカ勢が一挙スパート。記録はつまらない、おおよそマラソンの醍醐味の一切ない、そういったレースとなるのであります。

そもそもにおいて、なぜ「コーナー」ばかりのコースであるのか。KAIは、まったくもって理解することができないのであります。

「コーナー」による、「マラソン」選手への影響は、そんな「無視」できるほど軽微ではなく、ことごとくの環境的要因を排除するほどの、多大に勝敗を左右することになると、KAIは考えるのであります。

「コーナー」ばかりのコースとなった原因が、「トラック競技」問題であります。

コースを往復させるならまだしも、しかも2回までならまだしも、なんとなんと同じコースを3周させると言うのであります。

KAIはあきれはてて、ものも言えない、のち、怒りで、ここにこのエントリーにこの問題を書くしかないのであります。

そもそも、「マラソン」とは、何か。

マラソンの名の由来
紀元前450年9月12日、アテナイの名将ミルティアデスはマラトン(Marathon)に上陸したペルシャの大軍を奇策で撃退した。マラトンの戦いである。勝利というエウアンゲリオンをアテナイの元老に伝えるためにフィディピディス(Philippides)という兵士が伝令に選ばれた。フィディピディスはマラトンから約40km離れたアテナイまでを駆け抜け、アテナイの郊外で「我勝てり」と告げた後に力尽きて息を引き取ったと言われている[1]。
マラソン、Wikipedia


そうです、「伝令」であります。

それを、くるくるこまねずみのように走らせる。

まるでその競技の「目的」が違うのであります。

しかし、なぜこんなことが平然と、執り行われるのか?

ここでは詳しく論ずることは差し控えさせていただくのでありますが、これはユーロ問題と、同根であります。

もはや、イギリス人は、自分たちの「価値観」を維持するだけで、精一杯。世界標準となる包容力に、いまや国内問題だけで、かまってられない。つまりは、そう言うことであります。

オリンピック史上、初めて「路地裏」を走ったマラソン選手として、ロンドンマラソン走破選手は、歴史に長く記憶されることになるのであります。 KAI

コミットメント不全症候群−−日銀と日本柔道に共通するものとは

穴井が2回戦で敗退。初戦前の勇ましいコメントが、まるで虚しく聴こえてきたのは、空耳ではなかったようであります。

すでにここで日本柔道に関するいくつかのレポートをお読みいただいているみなさまには、あらためてご説明する必要もないのでありますが、残る100キロ超級に出場する上川大樹が、見るも無残な結果に終わることは、いまここであらためてご説明するまでもないのであります。

とここまで書いてほっておいたら、案の定想定どおりでありました。

この問題の本質は、日本において、なにも柔道界に限った話ではないのであります。

 日銀は31日、平成4年1〜6月に開いた金融政策決定会合の議事録を公表した。当時は不良債権処理の遅れなどを背景にデフレ脱却が進まず、政府からの金融緩和圧力が高まっていた時期。こうした圧力に対し、速水優総裁(当時)が2月28日の会合で「わが国の経済運営全体に対する信認を著しく傷付けている」と批判するなど、日銀側が反発を強めていた姿が浮き彫りになった。

 28日の会合の前日、小泉純一郎政権は、日銀に「思い切った金融政策」を求めるデフレ対策を決定。これにあわせ、塩川正十郎財務相が「日銀に1兆円の国債買い取りを要求しようと思う」と発言していた。

 28日の会合は、塩川氏の発言通り、国債購入を月8000億円から1兆円に増やす追加緩和を決定。政府に押し切られたようにとられかねず、速水総裁が不快感を示したほか、ほかの出席者も「異常な事態」(山口泰副総裁)などと批判した。
平成4年上期の日銀議事録が公表 政府の緩和圧力に強く反発


平成14年を、平成4年と報道しても、なんの訂正もない。これも含めればさらに話が面白く拡がるのでありますが、これはとりあえずおいておくのであります。

日銀。中国に抜かれたとはいえ、世界最大級の経済大国、この国の金融、中枢の中の中枢であります。

この日銀にとって、喫緊、といいながらここ二十年もの間、ずっと課題であり続けるのが、「デフレ脱却」。

先に引用の記事によれば、日銀はこの「デフレ脱却」のために表面上は「金融緩和」に応じながら、本音は、「不快感」、「異常な事態」とこれをネガティブにとらえていたとのことであります。

この「事実」は、きわめて「深刻」と言わざるをえないのであります。

なにが「深刻」であるのか。これから、これをご説明するのであります。

すなわちそれは、凋落する日本柔道同様、凋落する日本経済に直接的に手を打つ責任を持つ人間が、一切この責任をはたそうとしないことにあるのであります。

これは具体的には、「コミットメント」と言うのでありますが、あらゆる問題に対処する責任者に求められるのが、「コミットメント」であります。

例えばFRBのバーナンキは、インフレ率および失業率に「コミットメント」しているのであります。

であるからして、「市場」はこれを前提に動く。

ところがであります。現日銀総裁、白川くんもそうでありますが、この速水くん、「不快感」などと言って、自分がやっていることに対して、「コミットメント」とまるで真逆の、「不快感」とは無責任の極みなんであります。まるで「評論家」、「当事者意識」ゼロ。

彼らの、一貫して責任を取りたくない気持ちについて、すでに考察したとおりであります。

なぜ、日銀は、いつまでたってもこの「立場」を変えようとしないのか?

もちろん日銀法改正で、この変えようとしない人間に「脅し」をかけると言うのも「あり」ではありますけれども、そもそもにおいて、なぜいまの「立場」に拘るのかであります。

それは、じつは、「責任」を取れないからであります。だれに対してかと言えば、それが具体的にはかの財務省と言う「システム」側に対してであります。

彼らは、日銀の独立性なんてこととは、まったくもって関係なく、予定調和的に「官僚機構」の「論理」の中に組み込まれてしまっているのであります。これはいわば、彼らの行動原理として、「支配なき被支配体制」と言う「システム」側を支えている、偽りの「正統性」に支配されてしまっているってことの、完全なる「証明」であります。(ひたすら金利の恐怖から逃れようとするってことです)

ここでもまた、偽りの「正統性」であります。
「正統性」思想とは−−日銀と正統性


ことごとく、すべての問題の「根源」とは、これに尽きるのであります。

まことに腹立たしい限りであります。

一方の日本柔道、責任者の本音を代弁するのが、石原慎太郎くん。

 柔道については「日本が発祥地だが体格や価値観、情操の違う外国人の柔道はちっともきれいじゃない。なんか獣のけんかみたいで。柔道の醍醐味はどこかへ行っちゃったね」とばっさり。
(産経新聞、週刊知事、東京・石原慎太郎知事、北島は偉大なスイマー、2012/8/5、p.25)


これは、負け犬の遠吠え。勝ってなんぼの世界は、慎太郎くんの「選挙」の世界と一緒でしょ。

「勝つこと」を「コミットメント」する。

ここで初めて、ものごとが、スタートするのであります。

「勝つこと」を「コミットメント」することによって、すべてがこれを「中心」に廻りだすのであります。

強化コーチの選定、強化プログラムの策定、教育プログラムの作成と実践。「コミットメント」による、責任者があらゆる手を尽くして「実践」してくれることへの、「安心感」。

金融政策同様、「コミットメント」とは、この「安心感」を生み出す力があるのであります。

しかし、日本の「責任者」たちには、これができない。自分たち「システム」側の「安心感」を犠牲にするわけには、死んでもできないと言うわけであります。

私たちのこの「不幸」は、いったいいつまで続くのでありましょうか。 KAI