橋下「革命政権」にとって、今回の支持率急降下は、最高のプレゼントとなったのであります。
識者と言われるかたがたや、橋下ぎらいの人々にとって、ここぞとばかりにそれみたことかとはやし立てているのでありますが、まったくもってだからきみたちは、オツムが弱いと言われるのであります。
こんなこと、簡単なお話であります。もし、いま支持率が急上昇していたらどうなっていたか、想像してみればよろしいのであります。
きみたちは、どうでもよろしい。問題は戦争相手の敵対する「システム」側。
支持率上昇は、彼らの喫緊、緊急の最重要課題となって、あらゆる手がうたれることになるのであります。
ところが、支持率が急落。
ここに、彼らの「油断」が生まれるのであります。もちろん、これは維新の思う壺であります。
自民党にとっても、同じことが生じているのであります。
自民党の支持率の回復は、やはり彼らの「油断」を生むことになるのであります。
自民党は、確かに維新との連携を目指す安倍が総裁となったけれど、自民党自体は、なんら変わってはいない。
現に、今回の支持率回復が、維新との連携を言う安倍効果であったにもかかわらず、幹事長に就任した石破はこんなことを言うのであります。
自民党の石破幹事長は29日のテレビ東京の番組で、同党と橋下徹大阪市長が代表を務める「日本維新の会」との連携について「(日本維新は)衆院選で300選挙区全部に候補を立てるといっている。戦う相手と最初から連携はない」と述べた。
(産経新聞、衆院選後まで維新連携ない、自民・石破幹事長、2012/9/30、p.2)
もちろん、ずっと自民を応援してきたKAIも、こんどばかしは、維新を絶対的に支持するのでありますが、今回の支持率調査ではなぜ維新は支持率を落としたのか。
それは、いまのところ橋下が選挙に出ないと言っているからであります。
橋下が出ない維新では支持してもしかたがないと思うのは、当然であります。
このことを含めて、これを「橋下商店」とメディアは揶揄するのであります。
しかし、こんなことは百も承知で、維新は着々とことを進めているのであります。
これから「革命」と言う戦争をやるのであります。命を絶たれることはないかもしれないけれど、これは「戦争」であります。これをいきあたりばったりでやっていると、自分たちがかつてやってきたいきあたりばったりと同じように思うのが、サヨクメディアやきみたちなんであります。
おまけに、維新が「橋下人気」で、もっているという、これまた維新にとってまことに都合の良い「勘違い」をしてくれているのであります。
維新と言う「革命政権」の本質は、「言葉の信頼性」であります。
日本の100年有余の政党政治において、橋下徹の「革命政権」によって歴史上初めて「言葉の信頼性」を担保する政権が誕生する。
これが、維新を支持する人たちの真実の心であります。
この「心の炎」は、なにがあろうとも決して消えることはないのであります。
今回、維新に竹中平蔵が参画しているのも、これに強く関連しているのであります。
この竹中の存在を理由に維新に嫌悪をしめすやからが多いのでありますが、彼らこそこの「言葉の信頼性」に背を向け、「レトリック」と言う「バカの思考過程」に身を投じたかつての民主党投票者であり、彼らに乗じて格差を生んだとして小泉竹中改革を自らの手で潰した現在の自民党なのであります。
朝日新聞記者が、橋下徹のツイッターを「暇つぶし」とうそぶいている。
http://t.co/JGA257DC朝日新聞の阿久沢記者と言う朝日にしては最悪に質の悪い記者が今度の記者会見に論戦しにくるらしい。楽しみだ。論戦次第になるが、阿久沢記者は僕のツイッターは暇つぶしと言い切った。
(それでも足りないことを市長として国政政党の代表としてツイッターで意見を述べている。- 2012年09月26日のツイート)
竹中平蔵にしろ、橋下徹にしろ、彼らが言っていることは常に論理的に一貫して「明晰」であります。
しかも「有言実行」。きちんと「言葉」で説明して、これを「実行」する。
しかし、「レトリック」こそ「思考」であるとの教育環境で育ってきた朝日記者をはじめとした多くの日本人は、これを「独裁」と決め付ける。彼らの「レトリック」思考(?!)によれば、まず「結論」が先にあって、これに導く論理はすべて「ポピュリズム」であり、「説明不足」となるのであります。
彼らの気に入らない「結論」には、なにがあろうと、すべて「反対」。逆に気に入った「結論」なら、やみくもに「賛成」。そこにあるのは、論理思考の逆順、「レトリック」しかないのであります。
こんな彼らに救いの手を差し向けるのも、「言葉の信頼性」の意味であります。
「政治」の世界に、真の意味のこの「言葉の信頼性」を、もし取り戻すことができたとするならば、このときこそ、東北福島復興が実現するときであります。
なにがあっても、彼らの「故郷への帰還」を果たすこと。私たちの絶対使命であることを、私たちは片時も忘れてはいけないのであります。 KAI
悪魔がいれば、必ず神さまもいる。
<男が考える、20代のモテ女子の理想の黄金比。>
- 素直 40%
- 可愛い 30%
- 古風 20%
- 悪魔 10%
- 20代のモテ女子 すてき〜 かわい〜
<40代のいい女の理想の黄金比。>
- 悪魔 40%
- 古風 30%
- 可愛い 20%
- 素直 10%
- 40代のいい女 今夜は とことん 飲んで 貰いますよ。
<でも、現実のいい女は全員こう。>
- 悪魔 100%
- 現実のいい女 ジミーチュウの靴と ゴヤールの鞄 買って〜
(小学館、ビッグコミックスピリッツ、気まぐれコンセプト、2012/10/8、p.32)
今週は、この情報に、KAIの心は大きく揺さぶられているのであります。
現代の数学に未解明のまま残された問題のうち、「最も重要」とも言われる整数の理論「ABC予想」を証明する論文を、望月新一京都大教授(43)が18日までにインターネット上で公開した。
論文は4編の500ページ。整数論の代表的難問であり、解決に約350年かかった「フェルマーの最終定理」も、この予想を使えば一気に証明できてしまうことから、欧米のメディアも「驚異的な偉業になるだろう」と興奮気味に伝えている。
ABC予想は1985年に欧州の数学者らによって提唱された。AとBの二つの整数とこれらを足してできる新たな整数Cを考え、それぞれの素因数について成り立つ関係を分析した理論で、整数の方程式の解析では「最も重要な未解決の問題」とも言われる。
望月教授は米プリンストン大数学科を19歳で卒業、京大助手などを経て現職。
(難問「ABC予想」解明か 望月京大教授 話題沸騰)
それは、望月教授がご自身の「内的過程」を明らかにされるかどうかは別にして、今回の成果がコンピュータグラフィックスの「大進化」の延長線上にあると、KAIは確信するのであります。
この「ひも」と言う概念が直観的にわかりやすいこともあって一見とっつきやすそうでいて、いざ取り組み始めると、たちまち10次元、11次元といったトポロジー空間のお話になって、ではこれを数理的にどう処理すればいいか、皆目見当がつかない、そう言うとんでもない「理論」であったのであります。
それがいまでは、若い研究者の間で、苦も無く数理計算ができるようになったと言うのが、さきほどの3次元宇宙誕生のシミュレーションの研究と言うわけであります。
(知の爆発−−直感を疎かにしてはいけない)
そこで、であります。
「ABC予想」とは、なんであるかであります。
それは、「素数」の集合の大きさがどの程度のものか、これを予想するものであります。
これをもう少し具体的に理解するためには、そもそも「素数」とはいかなるものか、まずもってこの勉強から始める必要があるのであります。
素数とは、ただ2つだけの正の約数を持つ自然数、すなわち 1 と自分自身のみで割り切れる自然数かつ 1 でない数と定義される。例えば、5 の正の約数は 1, 5 だけなので素数である。一方で 4 は、正の約数が 1, 2, 4 なので素数でない。2以上の自然数で素数でないものを合成数と呼ぶ。
(素数、Wikipedia)
当然、自然数が無限に存在するように、素数も合成数も無限に存在するわけであります。
それぞれ無限に存在するけれども、常に以下の関係が成り立つことは自明であります。
素数の集合 < 合成数の集合
A、B、Cと3つある自然数がそれぞれ持つ異なる素数をすべて掛け合わせた合成数(L)と、Cとの大きさを比較するものとする。
但し、A+B=Cで、AとBは互いに素であるとする。
L(d)<Cを満たすLの集合は有限である。
L(d)<Cを満たすLの集合は存在しない。
(L(2)>Cが常に成立する)
もしこの予想が証明されたとすると、これは暗号解読にとってきわめて重要な制約条件となるのであります。つまり解読効率の大幅な向上であり暗号アルゴリズムにとって、セキュリティ上の重大危機であります。
そこで、であります。
望月教授の、「証明」であります。
Inter-universal Teichmuller Theory I: Construction of Hodge Theaters.
「そっくりアニメ」で描かれている入れ子構造をフラクタル構造と言うのでありますが、このフラクタル構造を理解するうえでもっとも重要な概念が「被覆次元」と言う概念であります。例えば「被覆ハウスドルフ次元」と言うものがあるのでありますが、簡単にこれをご説明すると次のようになるのであります。
l(d)+l(d)+ ・・・ +l(d)=Sdとすると、
(l(d):被覆切片の長さlのd乗、Sd:測度(l(d)の総和))被覆ハウスドルフ次元(D)とは以下のように定義される。
d<Dのとき、Sd≠0
D<dのとき、Sd=0あるいは、
d<Dのとき、Sd=∞
D<dのとき、Sd<∞
つまり、ABC予想における被覆ハウスドルフ次元とは「2」であるとの「類似」であります。
すなわち、このD=2より小さい乗数dの場合にのみ、これを満たす測度が有限に存在し、D=2より大きい乗数dの場合は、d乗の測度は一切存在しなくなる、と。
実際問題、望月教授の、宇宙際タイヒミュラー理論とは、この高次元トポロジー空間の構造自体を「宇宙」として定義することにより、この「宇宙」同士がフラクタルに「接続」するための「ルール」を、テータ関数(被覆次元の拡張)を使ってパターン化する「理論」であると、KAIは、勝手解釈するのであります。
これが、いかに画期的「理論」であるかは、すでに欧米メディアが伝えるところではありますが、これはこの「宇宙際タイヒミュラー理論」が、理論物理で言うところの「大統一理論」の「性格」を有しているからであります。
「素数」とは、数論における「素粒子」であります。
「素数」は無限に存在するとは言え、その「素数」そのものの実態は、依然よくわかっていないのが現状であります。
もしかしたら、この「宇宙際タイヒミュラー理論」によって、「素数」そのもの同士の関係が解き明かされるかもしれない。
21世紀の「知の爆発」は、とどまることを知らないのであります。 KAI
駅を出て、まっすぐ目的地に向かって歩いているつもりが、いつまでたってもたどり着かない。よくよく見ると、180度反対の方向に歩いていた、なんてことはよくあることであります。
実は、この方向感覚の欠如こそ、いま日本の文系論者の「知的欠陥」の決定的要因なのであります。
あえてこのたとえ話を続けるならば、道に迷って彼らの取る行動は、地図との「不一致」の検証ではなく、地図との見た目の「一致」をひたすら見出すだけの言説であり、これを世間では「レトリック」と呼ぶのであります。
ほらここにコンビニがあって、その先に郵便局があるから、間違っていない、とな。
「iPhoneと日本維新の会に共通するものとは?」で取り上げた、識者と言われる人々が「iPhone革命」の本質に気づかなかったのも、この方向感覚の欠如を「レトリック」で糊塗するからであります。
そもそもにおいて、論理の「前提条件」がまったくもって反対であるにもかかわらず、自分たちが採用する「前提条件」をアプリオリとして一切挙証がなされることがないのであります。
例えば、これ。
その点でいうと、アメリカのベトナムでの集団的自衛権の行使については「よしたほうがいいぜ」と言ってあげるのが友邦のなすべきことだったと私は思っている。
友邦だったら。
でも、日本はアメリカの友邦ではない。
アメリカの属邦である。
従属国家である。
(集団的自衛権と忠義なわんちゃんの下心について)
「従属国家」であることを言わんがための根拠が、「従属国家」であるとは、これこそが究極のトートロジー、すなわち「レトリック」の典型なのであります。
ウチダ先生の、「思考能力」の「限界」であります。
残念ながら、これが日本の「文系論者」の知的レベルであります。ブログでもいいから徹底的に議論することで論破されることのない、言いっぱなし、言いたい放題を許す、予定調和的村社会が生み出す、当然の帰結なのであります。
鳩山の転向の根拠が「核」であるとの妄言など、もういいかげん、ウチダ先生、ご自身の「思考のフレーム」の適用範囲の「限界」を自覚なさったほうが御身のためであります。そうすれば、(まだまだお若いとは思いますが)晩節を汚すこともなくなると、KAIは愚考するのであります。
そして、こちらも、「京都大学教授」の名が泣く佐伯啓思先生であります。
しかし、それではたとえばこの3年ほどの民主党政権の失敗はどこにあったのか。「維新の会」は「統治機構を変える」ことこそが、彼らの仕事だという。
◇
しかし、言葉は違え、「統治機構を変える」は、平成5年に始まる政治改革の目的だった。政治改革が唱えたのは「脱官僚政治」であり「民意の反映」であり「政治主導」であり「政策選択の政治」であった。その行き着いた先が民主党政治であった。そして、民主党が失敗した理由はといえば、彼らが十分な準備もなく政権の座についたからである。つまり、いってみれば彼らは「素人集団」だった、というところに落ち着いてきたのではなかっただろうか。
(京都大学教授・佐伯啓思 常軌を逸する政治)
まるで、「幼稚園児」の「論理」であります。
大丈夫ですか、佐伯先生?
ソフトバンクもユニクロも、みんな大成功を収める前は、「素人集団」。
そんなことをいったら、「玄人集団」しか成功しないんですか、え、佐伯先生?
おまけに、安倍晋三の維新との連携発言にも、先生はクレームする。
しかし、新自由主義的な方向を打ち出し、破壊的なまでの急進的改革を訴える「日本維新の会」と安倍さんの「保守」の理念が一致するとは私には思われない。安倍さんの目算がどのあたりにあるのかよくわからないが、「日本維新の会」が唱える「統治機構の改革」と安倍さんの「戦後レジームからの脱却」にはかなり距離があるように思うのだ。
1塁手と2塁手の「連携」と言うぐあいに「連携」は使うものであって、「一致」などと言う意味は誰も求めてはいないのであります。
そして、一番分かってないのが、この言葉。
ところが、現時点で橋下さんは、自分はあくまで大阪市長であって、立候補しないという。考えにくいことではあるが、もしも過半数を得て政権を取ったとしていったい誰が総理になるのだろうか。いうまでもなく維新の会は橋下政党である。その党首が大阪で市の行政にかかりきりなどということはありえない。
嘆息。
この一言に尽きるのでありますが、気を取り直して、標題の問いにお答えするのであります。
それは、冒頭のお話のとおりであります。
彼らは、ことごとくにおいて一貫して、「正しく」180度反対の方向に結論を突き進むのであります。しかも、「論理」ではなく「レトリック」であります。「レトリック」とは、「論理」の逆順であります。
これが、なんと摩訶不思議なことに、期せずして「背理法」と言う「論理的」証明方法となっている。
すなわち、例えば「電話」としてのiPhoneではうまくいかないことを証明しようとすればするほど、「電話」ではないiPhoneがうまくいくことを証明することになる。
「従属国家」の行く末を懸念すればするほど、「従属国家」でなければ未来が開けてくる。
「政党」としての日本維新の会では成功がおぼつかないと言えば言うほど、「政党」を超えた存在となる日本維新の会の成功が保証されるのであります。
なんでこんなことが起こるのか。摩訶不思議なようで、実はそうではない。
彼らには、決定的に「人のために」と言う「志」が欠如しているからであります。このことを端的に指摘するコメントをご紹介して、本日はこれにてお仕舞いにするのであります。
中途半端に政治に首を突っ込むことは、こうも人を愚鈍なバカにしてしまうものなのだろうか。
あなたが今一番に全身全霊をかけて訴えるべきことは、若い命がこれ以上理不尽になくならないように、魂をこめた効果的な一言を日本中に発信することだ。
いじめや自殺に関することをほおっておいてまで、観念的政治ごっこをすることに魅力があるのか。
あなたが論じる政治的事がらすべてが、ああでも有りこうでも有りというような、正解を見つけるためにあえて迷路に入ることそのものを楽しむためにある類のものだ。
あなたは、まがりなりにも教育者だったという経験や、おそらく生きんがために身についたのであろう、良くも悪くも言葉を人の心に届かせる小ざかしいそのテクニックを、今まさにどこに使うのかを目を覚ましてよく考えるが良い。
(yahoo user 4ce80、09月15日 11:54)
前回、本年(2012年)は明治維新元年から丁度144年となると申しあげたのでありますが、この144年には特別な意味があるのであります。
144年周期の存在
十二支は「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」と12年間続きますが、これを1つのセットとし、12個作ると12×12=144年となります。そして1つのセットに干支を付け、子の時代が12年間、丑の時代が12年間・・・とすると、寅の時代12年間や、申の時代12年間も誕生します。
この場合、12年間の始まりは子年ではなく夜明けを意味する寅年から始めます。すると、2010年は申12年間の始まりの寅年となります。なぜ申12年間なのか基準はわかりませんが、0学ではそう考えていて、申酉の24年間を大変化の時期としています。
十二支を寅から数えると「寅卯辰巳午未」「申酉戌亥子丑」となり、申は十二支の後半のトップになります。寅と申はパワーの強い干支で、寅12年間にも大変化が起こりますが(第二次世界大戦など)、申12年間も同じように大変化が起こり、2010年の144年前は明治維新、その144年前は江戸中期の暴れん坊将軍吉宗の享保の改革、その144年前は織田信長の時代で、この時期には世界的に変化が起こっています。
144年周期は時代が繰り返される周期であり、72年ごとに大変化が起こっていて、私たちは今、歴史に残る時代を生きているわけです。
(0学の帰蔵易)
そして、明治維新元年から数えて144年、ここから発展した日本維新の会が、ここ日本を「革命」することになるのであります。
前回も申しあげたのでありますが、この「革命」の意味をなかなかご理解いただけないのであります。
もちろん、人が一生の間で一度あるかないかの「体験」であります。世界中を見渡せば、世界史の中の「革命」はあまたあったとしても、所詮他人事にすぎない。たとえこの歴史的渦中に遭遇する機会があったとしても、過ぎてみて初めて「革命」の中にいた自分の存在に気づく、ただそんなものにすぎないほんのわずかな「体験」なのであります。
ですから、iPhone誕生の時と同じように、そんなあなたの全神経、全感覚を集中して、これを「感じる」ことがとにもかくにも大事なんだと、あなたはこれに気づく必要があるのであります。
すると、例えば、「革命」の首謀者が、その「革命」前夜、現権力に「革命」のそぶりさえみせないことに、「普通」に気づくことになるのであります。古い言葉で言えば、「謀反」なのですから、これは当然と言えば当然なのであります。
これから、オレは謀反をおこすぜ、みんな。なんて、決して言ったり誰もしないでしょう?
そんなもんであります。
ですから、こんなこと、まったくもって関係ない。
正論、正直、正道で、戦に勝利できるなら、みなそうする。
ただそれだけのことであります。
いま、まさに「革命前夜」。
この「空気」を感じることができるかどうか。これがあなたのこれからの一生を、大きく変えることになるのであります。 KAI
それは、池田信夫先生による、その両者失敗の太鼓判と、これに反しての大成功の結果であります。
なんだか、まわりくどい言い方になってしまいましたが、なぜそうなるのか、この理路は後日ご説明することにいたしまして、日本維新が大成功するのは、iPhoneが大成功を収めたのと、まったくもって同じ構造をなしているのであります。
かつて、池田信夫先生は、iPhoneをジョブズの大失敗作と酷評なさったのでありますが、結果はご覧のとおりであります。
そして、日本維新の会であります。
「戦略も戦術もない」
こう先生は、書くのであります。
iPhoneが発売された当時の、世間の空気を振り返ればいいのであります。
これがうまくいかないと評価したことごとくの人々が、犯した間違いとは。
iPhoneを、フォン、すなわち、電話であると考えたのであります。しかし、実際は「電話」ではなく、「コンピュータ」であり、しかも「モバイル」であった。ただそれだけのことだったのであります。
これに対する、「日本維新の会」とは。
iPhoneの「電話」に対応するのが、「政党」であります。
「日本維新の会」を「政党」と考えるからおかしくなるのであります。
ここで、みなさんには、ぜひとも思い起こしていただきたいのでありますが、この「維新」とは何かであります。
それは、すなわちわかりやすく申しあげますなら、「革命」であります。「革命」であり、これを実現する「革命政権」であります。
「政党」なんて次元をはるかに超えた、「革命政権」。これこそが、「日本維新の会」の真実の姿なのであります。
「戦略も戦術もない」
確かに、「政党」と考えれば、そうかもしれない。
しかし、これは「革命」であります。
そんな手の内を見せる「革命」なんて、あり得ない。
「道州制」と「消費税の地方税化」、そして「国会議員半減」。「政党」の「仕事」と考えるから、過大すぎるように見えるだけであります。「革命政権」だから、これをやり遂げる必要があるのであります。
1868年、明治維新元年から、144年。いまようやくにして、第二維新が実現する。
これほどに大きな「変革」が、いま起きようとしている。かように考えるならば、iPhoneが起こした「革命」と言う現実を、いまあなたは決して否定することのできない、もうひとつの「現実」に直面することになるのであります。 KAI
(追記)橋下党首は出馬しないと言うのも、もちろんこれは戦略であります。東京1区、断トツのトップ当選であります。ウチダ先生、大阪市長後任なんてまったく心配ご無用。革命政権である以上、伏兵はいくらでもいるのであります。